竹内銃一郎のキノG語録

津田は「ありえへん」ツッコミだ  ダイアンの面白さ②2015.02.25

大半の漫才は、ボケ(=非常識人・狂気のひと)の言動を、ツッコミ(=常識人・理性的なひと)がたしなめるという形で成り立っており、また、ふたりの関係は野球のバッテリーに似ていて、やりとりのコントロールはツッコミが担当している。自分たちに与えられた持ち時間を睨みつつ、今日は客の反応がいいから、いつもならここでツッコムところだが、もう少しボケに好きなようにやらせてとか、ツッコミ担当は、常に冷静な計算しながらやっているはずだ。ダイアンが他の漫才と微妙に違うのは、ここだ。津田は時として冷静さを失い、西澤の描くボケの世界(観)に巻き込まれていってしまうのだ。多くのコンビのツッコミは、ボケの連発に対して、呆れる、否定する、あるいは怒り出す、という対応をする。それは、言うなれば、強者の弱者に対する反応であるが、しかし、ダイアン津田は、「分からん」「やめてやめて」と逃げようとする、つまり、強者であるはずなのに、弱者の対応をするのだ。西澤のボケも秀逸だが、この「ありえへん」津田のツッコミ(?)がおかしい。むろん、どこまでが台本通りで、どこまでが「瞬時に選ばれた対応」なのかは分からないのだが。

わたしが好きな彼らのネタに、「なに、それ?」シリーズ(わたしの勝手な命名)というのがある。普通は誰でも知っている(と思っている)もの・ことを西澤が知らず、津田に「なに、それ? なに、それ?」とどんどん問い詰めていくと、津田が「もうやめて!」と悲鳴をあげる。問いの対象となるのは、わたしがTVで見たものに限れば、「寿司」「サンタクロース」「相撲」など。これを初めて見た時は、このネタの対象は、ナイツの「ヤホーネタ」同様、無際限にあり、ダイアンもとうとう宝の山を掘り当てたかと、思ったのだったが、なぜか最近は、少なくともTVでは見られない。

例えば、「寿司」はこんなネタだ。西澤が、自分たちも漫才を始めてそこそこ経ったから、後輩も増えて、この間、後輩たちにラーメンを奢ってやったんだと言うと、津田「ああ、そうなんや。おれもこの間、後輩に寿司を奢ってやったわ」西澤「 …スシ?」津田「あ、ごめん。そういうつもりで言ったんやないけど」西澤「スシってなに?」津田「寿司や。寿司」西澤「だから、スシってなに?」津田「だから、酢飯にお刺身をのせて」西澤「酢飯ってなんなん?」

という風に始まり、西澤が「そんな魚ばっか食いたないわ」というと、津田が「おいなりさん言うのもあんねん」西澤「おいなりさんて、なに? 誰かのニックネーム?」というやりとりもあれば、津田がカリフォルニア・ロールを持ち出せば、西澤は「なに、それ? おれ、プロレスの技のことなんか聞いてへんけど」と答えたり、津田が回転寿司というのもあるというと、西澤は、「なに、それ? 寿司が転がるの? ひょっとしてイルージョン?」と問い詰める。つまり、理性的な知識あるひと=強者であるはずのツッコミ=津田が、西澤の質問の連発によって、さほどの「知識=言葉」を持っているわけではないことを露にされ、弱者の地位に追い落とされてしまうのだ。ツッコミ不在(?!)の漫才といえばWボケの「笑い飯」だが、しかし、漫才を言葉のパワー・ゲームと考えると、明らかにダイアンの方が上等で、面白さの点から見ても、わたしは彼等に軍配を挙げたい。

前述と同様の「知識なき者=質問者」と「知識ある者=応答者」との逆転劇は、例えば、チェーホフの「かもめ」等にも見られるが、これについてはまたの機会に。

一覧