竹内銃一郎のキノG語録

船橋の事件から① (「『噓くさい芝居』を強いられるこの酷薄な現実を…」改題)2015.04.27

高い放射線量が計測されてニュースになった池袋の公園は、去年までわたしが住んでいたところから、地図で確認すると、数百米と離れていないところにある。いまのわたしの脚力なら、走れば2分とかからない至近距離だ。買い物や食事のために、そっち方面へはよく出かけたが、公園沿いの道は使わなかったので、今回のニュースが出るまで、そんなところに公園があったなんて知らなかった。東京から引っ越すことに決めた最大の理由は、地震が怖かったからだが、まさか、住まいのほんの目と鼻の先にこんな危険が潜んでいようとは。

一週間ほど前になるのか。地震調査委員会から、関東圏でむこう30年以内にM6、8以上の地震が発生する確率は、60%と発表された。30年は約1万日である。1万日の間に大地震が起こる確率が60%? ひとが癌や交通事故で亡くなる確率がどの程度なのか知らないし、もちろん、癌や交通事故で亡くなるひとは多々あるわけだけれど、しかし、これは限りなく0に近い確率ではないのか? というか、それ以前に、30年後にわたしが生きてる確率も限りなく0に近いはずだから、われながら、何故そんなに地震を恐れるのかがよく分からない。分からないのに、なんの根拠もないのに、東京は10年以内に地震で壊滅状態になることを、わたしは確信しているのである。

船橋で18歳の少女が土中に埋められて殺されたという事件。TV番組でコメンテーターの尾木が、「幼稚」という言葉を繰り返して、犯行に加わった4人を非難していたが、そんな言葉ではこの事件の真相には届きえないことは明らかである。

同じ番組の中で、殺された少女Aとも、仲間に殺しを依頼したとされている少女Bとも友人だったという少女Cが、事件の前後に、BとLINEでやりとりしていた内容を明らかにしていた。その話しぶりに、いささか大仰な表現になるが、わたしは慄然とした。手を伸ばせば「事件」に触れえた至近距離にいながら、声が変えられていたためもあろうが、わたしが想定する緊張感というものがまったく伝わってこなかったのだ。ボキャブラリーが少ないというより、いまの自分の立場の人間がなにごとかを語るとしたら、おおよそ「こんな感じ?」という感じの、ドラマの出演者たちの「嘘くさい芝居」をコピーしたような物言いだった。

むろん、わたしは彼女を非難しているわけではない。なにか深刻なことを語ろうとしても、「噓くさい芝居」めいた物言いしか出来ないという「現実」を抱えてしまっている彼女が痛ましい、と思っているのだ。殺された少女も、犯行にかかわった4人も、更には、彼らと同世代の多くの若者も、少女Cとさほど変わらない「現実」を生きているはずだ。(この稿、続く)

 

 

 

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