竹内銃一郎のキノG語録

「またもや狐(狸?)にたぶらかされる」の巻2016.02.22

「あたま山心中」の改訂、順調に進んで、残りはあと三分の一程度。しかし。元のものを書き写しつつ、語句の順を変えたり、削ったり、新たに書き足したりという作業は、新しく書くのに比べると、ワクワク感が希薄でしんどい。

気分転換のためにと、4時半ころ、散歩に出かける。最近、万歩計+消費カロリーが出て来る機器(?)を買い、当然のことながら、歩けば歩くほど数字が上がるのでそれが面白く、最初は歩数が一万を超えるまでと思っていたのだが、ついでだから、淀の競馬場まで行ってみようということになり …

10年くらい前になるのか。淀の競馬場からの帰り、大阪行きの電車は混むので、淀からひとつ京都寄りの駅まで歩いて、そこから乗れば座って帰れるだろうと、思ったのが間違いのもと。わたしのつもりでは、せいぜい15~20分くらい歩けば、目的地にたどり着けるだろうと思っていたのだが、歩けども歩けども、駅の気配はなく。それどころか、最初は線路沿いに歩いていたのだが、道はどんどん線路から離れ、周りは、殺風景な工場ばかりで、ひとなどどこにもいない。小一時間ほども歩いたろうか。それでも殺風景な風景は変わらず、日は暮れ、辺りは暗くなり、冗談ではなく、その時わたしは、狐か狸に化かされているのではないかと思った。それからまた20分ほど歩いて、ようやく街の灯が見えてきた時、わたしはほとんど泣きそうだった。そのたどり着いた駅が、いまの住まいの最寄り駅である中書島である。

という苦すぎる経験を踏まえ、どうもこのまま歩いても淀へは着けそうにないなと判断して、途中で引き返すことにしたのだが、これが! 来た道をそのまま引き返すのも芸のない話だと、別の道を帰ろうとしたがいけなかった。またもや、線路沿いを歩けども歩けども、車は頻繁に行き交うのだが、人気はなく、左手には宇治川が流れ、右側には切り崩された山の残骸とも言うべき風景が延々と続く。おかしい。やっぱり中書島と淀を結ぶあたりには、善良な人間をたぶらかす狐や狸がいるのだ。辺りは真っ暗。途中で二度、「中書島」へはどう行けばと聞いて、ようやく家に着いた時には、すでに6時半を回っていて、万歩計の数字は18000を超えていた。

「あたま山心中」は、認知症の母親と彼女を介護する息子の話だが、それを読みつつ書き直しているせいなのか、もしかしたらわたしも認知症なのではないかと不安になる。まさかまさか。わたしは若いころから方角音痴で、学生の時には、引っ越して間もない頃だが、自分の住まいが分からず迷子になったことがある。だからなのか。自分が帰る家がどこだったかと探し回っている夢をよく見る。と、こう書くと、それはわたしの生き方の暗示であるような気もするのだが。

 

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