竹内銃一郎のキノG語録

「劇的」の向こう岸 「サウルの息子」を見る。2017.02.14

今朝は曇天。ちらほらと雪も舞っている。昨日は久しぶりに青空が広がっていて、久しぶりに朝の散歩が出来たのに。川面に5羽のカモが輪になっていた。家族だろうか、仲間だろうか。輪から一羽が外れて川下に移動を始めると、他もそれに続いた。縦一列でしかも計ったように等間隔。前を追い抜いたり、距離を縮めて横に並んだりはしない。もっとも安全な形として、本能的にあれが選ばれているんだろうと感心して、100米くらい歩くとまた別のカモグループが。こっちは6羽。前のグループと同様、一羽が川下へ移動を始めると、それに従うようにもう一羽。しかし、他は元の位置でのんびり浮かんでいる。うん? 移動した2羽の後方のカモが、前を行くカモを追い抜いてしまった。カモには共有されてるルールはないの? 川べりの遊歩道から一般道へ出ると、登校する小学生10数人のグループがやって来た。誰も喋らず少しうつむき加減に足早に歩いていく、子どもなのに。奇妙なグループだと思ったら、別の道からやって来たグループも同様で誰も喋らず …。三つ目のグループもまた。登校時は列を乱さず、私語も慎むようにという、学校の決まりでもあるのだろうか? それはまるで「サウルの息子」の登場人物たちの振舞いのようで …、というのは、いくらなんでも過剰に過ぎようが。

一昨日の夜、「サウルの息子」を再度見る。この稿を書くために確認したいことがあって、最初の数分だけのつもりが、結局最後まで見てしまった。確認したかったのは映画の冒頭の、黒バックに流れる、次のような字幕だ。実際はもう少し長めだが。

ゾンダーコマンド。他の囚人たちと切り離されて特別な任務を負ったもの。「秘密の運搬人」とも呼ばれる彼らは、数カ月働いた後、抹殺される。

字幕が終わると一転、一面に木々や草々の深い緑が広がり、その中をひとりの男が歩いてくる。しかし、すべてがぼんやりしていて、それはカメラの焦点がどこにも合っていないからだが、鳥たちのさえずりや犬の吠え声は鮮明に聞こえ、歩いてきた男はカメラ前、ピントが合うところで立ち止まる。すると、脇から別の男が現れ、彼に「始めよう」と声をかける、<物語>が始まる。気持ちがザワザワする始まりだ。

映画に限らず、小説や評論、舞台、音楽、優れた作品は、一度見たり読んだり聞いたりしても、本当のところよく分からない。よく分からないのだが、気持ちがザワザワして、だから「これはいい!」と思い、また見たいと思い、最後まで見てしまった、と。保坂和志も繰り返し書いていることだが、「一気に読めてしまう」小説などロクなものではない。かと言って。

二度見たからと言って、すべてがクリアになったわけではない、「サウルの息子」。最初に見てから一週間以上経っているのに、<感想>がうまくまとまらない。これは去年見た「ノスフェラトゥ」と同じだ。あっちはウヤムヤのまま放り出してしまったのだが。そもそも、引っ越しの準備の合間に書けるような生易しい相手ではないのだ。という愚痴はいったい誰に向けて書いているのか …?

「ノスフェラトゥ」同様、こちらもストーリーはきわめてシンプルだ。ゾンダーコマンドの過酷に過ぎる仕事ぶりをサウルを中心に描き、<物語>の半ばからは、死体の山の中から見つけ出された、まだかすかに呼吸をしている10歳くらいの少年を、サウルは、これは自分の息子だからと仲間に懇願して、他の囚人たちの死体のように焼却することをやめさせ、ユダヤ教の教えに則って埋葬すべく、ラビ探しに奔走し、一方、彼の仲間たちは、殺される前に反乱・暴動を起こすべく準備を重ねていて …。こう書くと、結構劇的な展開ではないかと思われるかもしれないが、さにあらず。確かに、全編にわたってサスペンスフルな緊張感が途切れない。

収容されている人々をガス室へと誘導し、むろん、その人々はそこがガス室だとは知らされず、担当兵士は、裸になってシャワーを浴びてきれいなからだで飯を食うんだ、と叫び、全裸になるのをためらう人々の服を剥ぎとるのはゾンダーコマンド達の仕事で、全員がガス室に送り込まれ、重そうな鉄の扉が閉められるとすぐに、中から人々の叫び声と扉を激しく叩く音が聞こえ、すると、それまで黙々と与えられた仕事をこなしていたサウルも、少し顔をゆがめる。少し黒味の何も見えない時間があり、明るくなると、サウル等は、山積みになった裸の死体をよそに、床をごしごしと洗っている、その様は、魚市場で働く人々のそれとほとんど変わらない、こんな、言うなれば<日常的な描写>を、フツーは<劇的>と形容しない。

先に、サウルは、瀕死の少年を自分の息子だから云々と書いたが、それが明かされるのは全体の三分の二を過ぎた頃で、だから、彼がなぜその少年の死体にこだわるのかが分からないまま<物語>は進行するのだ、しかも、彼がそのように語ると、仲間は「お前に息子なんかいない」と言う。うん? 事実関係が分からないことは、他にも多々ある。サウルは仲間からの指令で、ある女性が働いている保管所に行き、人目につかぬよう彼女から<ブツ>を受け取るのだが、その受け渡しの前の30秒くらいだったか、ふたりは至近距離で、まるで恋人同士のようにじっと互いを見つめ合う。そして、別れ際に彼女は「サウル」と呼びかけることを考え合わせるならば、ふたりはそういう関係だったのではないかと思うのだが、サウルは素っ気なく立ち去り、それ以上はなにも起こらず、亡くなった中川(安奈)さんに似た女優が演じる彼女は二度と登場せず、だから、ふたりの関係はなにも分からない。

なにも語られずなにも分からない、このことがわたし(見るもの)の気持ちをざわつかせるのだ。(この稿、続く)

 

 

 

 

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