竹内銃一郎のキノG語録

在るものはいつか無くなる。 清順さんの訃報に触れて2017.02.23

22日、七条へ引越し。夜、疲れたからだを癒すべく風呂に入ろうとしたが、お湯が出ない。ガスの開栓は今日だったのだ。ガッデム! 朝、近所の喫茶店のスポーツ新聞で、清順さんが亡くなったのを知る。

さん付けで書いたからといって、別に親しいわけではない。わたしの師である大和屋さんが、「清順さん」と呼んでいたので、わたしもずっとそう呼んでいるのだ。一度だけ大和屋邸でお会いしたことがあるのだが、挨拶しただけでそれ以上のことはなにもなかった。

大和屋さんは長く、清順さんのブレーンと呼ぶべき位置にいて、清順さんが日活をクビになった後、清順さんのために何本かシナリオを書いたのだが、なかなかクランクインにまで至らず、消耗の日々が10年近く続いたのだった。大和屋さんが若くして亡くなったのは、あの<厳しい>10年も原因のひとつに数えられるのではないかと、わたしはそう思っている。

ウィキに掲載されている監督作品の一覧を見ると、その8割くらいは見ていることが判明。60年代半ばから70年代にかけてが清順人気の絶頂期で、その頃、池袋の文芸座の土曜オールナイトでほぼ全作が上映され、そのほぼ全部を見ているから、そういうことになっている。刮目すべきは、63年に公開された「野獣の青春」から67年公開の「殺しの烙印」まで13本、そのすべてが傑作であることだ。こんな監督は他にいない。因みに、「殺しの烙印」には大和屋さんも殺し屋役で出演し、主題歌まで歌っているが、この映画の訳の分からなさが直接の理由・原因になって、清順さんは会社をクビになったのだ。シナリオライターは具流八郎となっているが、これは清順さんの周囲にいた若いひとたちのグループ名で、もちろん、大和屋さんもその中のひとり。先に、一度だけ清順さんにお会いしたことが …と書いたが、実は、大和屋さんがわたしを具流八郎(=グルッパチ)に加えようとして、清順さんに会わせてくれたのだが、若すぎるという理由で、その話はなかったことになったのだった。その時わたしは、多分、20代半ばではなかったか。ああ、あれから半世紀近い年月が過ぎ、大和屋さんの年齢もとうに追い越してしまった!

約70の段ボールが、新しい住まいを占拠している。そのためもあって、必要なものがなかなか見当たらない。まさに疲労の極だが、労働時間の4割くらいは探し物に費やしているような気がする。ため息と叱咤の繰り返し。ほんと疲れる。

最後に、わたしの清順作品ベスト3を。

①「東京流れ者」カッコいいシーンの連続。それでいて笑える。美術と照明が冴えまくっている。 ②「悪太郎」山内賢演じる悪太郎(旧制中学生)と和泉雅子演じるヒロインの、人目を盗んでのあいびきのシーンが忘れられない。③「殺しの烙印」宍戸錠演じる殺し屋の殺しのテクニックの鮮やかさ。ヒロインを演じる真理アンヌの美貌、そして、大和屋さんが殺されて亡くなる一瞬が …!

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