竹内銃一郎のキノG語録

本番まであと三ヶ月   キノG-7(キノG7改め)経過報告2017.07.31

「竹内銃一郎集成」と命名した連続公演のテキスト作り、しんどい。これまで何度も書いたはずだが、過去に書いた自作を書き写すという作業から得られる歓びは、実に労多くしてまことに過少。苦痛の最大の理由は、この次に誰がなにを語り、話のこの先の展開はどうなるかを知ってしまっているからだ。また、これが他人の作品の書き写しならば「勉強勉強」と謙虚に立ち向かうことが出来るのだが、自分のものとなると、ああ、ここがあそこがと直しの必要を感じてしまい、それが作業の妨げになり、苦痛を呼ぶのである。

「Ⅰ 夢ノ旅路」「Ⅱ 花ノ紋」「Ⅲ チェーホフ流」「Ⅳ 耳ノ鍵」「Ⅴ コスモス狂」「Ⅵ 動植綵絵」

上記は、連続公演6本のタイトルで、それぞれ、これまでに書いた作品から4~5本を選び、上演時間が60~70分になるようまとめている。最初はさしたる根拠もなく4、5本選び、起承転結という構成になるよう、それぞれの作品から部分を抜き取って並べ、そのあとに巻のタイトルを、という流れでやっていたのだが、なぜその4、5本なのか。その正当な(?)理由がほしくなり、タイトルのもとに結集させようとすると、組のメンバーの入れ替えが必要となって …。この作業、メンドーと言えばメンドーだが、そのメンドーさにはさほど苦痛は伴わない。並びを変えると、作品の味わいが微妙に変わるからだ。面白い。

過去の自作などほとんど手に取ることはないから、毎日のように読み、そして、書き写していると、おや? と驚くこと多々あり。あっちとこっち、別の戯曲に同じ台詞を書いていることがあるのだ。もちろん無自覚のままに。さっき気づいたのは、「耳ノ鍵」に入れる予定の「東京大仏心中」(初演1992)を書き写しているとき。これは父と娘のふたり芝居で、この中の娘の台詞に「(生きてて)いいことあるのかな、これから」というのがあるのだが、最後に上演予定の「動植綵絵」に入ってる「かごの鳥」(初演1987)にも同じ台詞があるのだ。どちらの戯曲においても、さほど重要な台詞だとは思えない。しかし、繰り返し書いているということには、それなりの個人的理由と事情があるのだろう。それがなんであるかは分からない(ということにしておこう)。

昨日は二度目の稽古。今回は<新しい劇スタイル>を謳っているのだが、まだ最終形がはっきりつかめない。どうしたものか。リーディングの公演は一度だけ、2008年に北九州芸術劇場からの依頼でやっている。劇場の方からお話をいただいた時は、演目はなんでもいいということだったので、卒業生の井上(竜由)さんが書いた「耕地」はどうかと提案したのだったが、無名の方の作品はちょっと …ということで急遽、泣く泣く(?)あの有名な「ワーニャ叔父さん」に変更。でも、公演自体は、わたしにとっては初めての試みだったし、出演者たちも揃って熱心で、思いで深いものになった。その後、「耕地」をそのままにしておくのは惜しいという思いから、学生たちを集めて上演。それがDRY BONESの旗揚げにつながり、更には、作家活動を放棄していたわたしに再始動を促すことになったのだから、まことに、ものごとはどう転ぶか分からない。

チラシは、表に連続公演に関する情報を載せ、裏面にⅠとⅡの公演情報を掲載の予定だが。まだ京都の公演場所が決まっておらず、Ⅱの出演俳優も一部未定。これはと思うひと何人かにあたったのだが、先約などあってNG。どなたかいらっしゃらないでしょうか? 京都の公演場所、いや、別に京都でなくとも、大阪での3ステージのほかに、どこかで3ステージくらい出来ればと思っているので、お客が30~50人ほど入れるところを探しているのですが。

お心当たりあれば、是非ご一報を。

 

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