「心臓破り 手品師の恋」公演パンフ原稿2011.09.22
ご挨拶
<事件>の受け止め方は、ひとさまざまです。親を亡くした哀しみよりも、この3月の震災の衝撃よりも、自らの虫歯の痛みの方が<一大事>ということは、大いにありうることでしょう。わたしはこのことを肯定したい。
大抵の人間は忘れっぽくて、いい加減なものです。川に飛び込んで死んでしまおうと思った男が橋の欄干に片足を乗せたその時に、背後を絶世の美女が裸で通れば、オヤ? と、彼は振り返る方を優先するでしょうし、「お兄さん、ちょっと」と声をかけられれば、死ぬのはとりあえず後回しにして、ホイホイと彼女の誘いに乗るでしょう。わたしならそうする! お兄さんじゃなくお爺さんなのに! このことも肯定させて下さい。
本日ご覧いただくのは、そんなお芝居です(か?)。
文化庁の助成金の審査をやっている関係で、べらぼうな数のお芝居の公演案内が毎日のようにわたしのもとに届けられますが、一時期、どの挨拶文もまるでこうでなければいけないかのように、「この度の震災は ……」という文言から始まっていて、もちろん、そんなモノは即座にゴミ箱に捨てていました。
善人面して、ひとの不幸を時候の挨拶代わりに使うなッテエの!
旗揚げから3年目を迎えた今回は、初めて外部からゲストを迎えての公演となりました。とはいえ、保とは、いまはもうない扇町ミュージアムスクエア制作公演「坂の上の家」(作 松田正隆)で、原さんとは、伊丹アイホール制作公演「みず色の空、そら色の水」(作 竹内)で、一緒に仕事をしているので、ふたりは現在のドラボ・メンバーの、いわば遠い先輩です。
ともに90年代に作ったお芝居。ふたりとはこの間、プライベートで会うことはありましたが、まさかこういう形で再会するとは思ってもいませんでした。互いの長生きを祝福するとともに、自分で言うのもなんですが、DRY BONESがあってよかったと、感謝の気持ちでいっぱいです。
60台のわたし、もうじき50に届く保、40台の中道さん、30台の原さん、そして20歳前後の学生諸君。年齢もキャリアも甚だしく違う者たちが稽古場に集まって、ああでもないこうでもないと一様に頭を捻っている光景は、健全な家庭の家族会議のようで……、友愛のコミューン?
本日はご来場、ありがとうございました。