繰り返し何度も読みたいと思った『喋る馬』2015.01.30
バーナード・マラマッドの短編集を読んでみようと思ったのは、これまで何度か触れてきた柏木博の『探偵小説の室内』で、マラマッドの「悼むひと」が取り上げられていたからだ。「悼むひと」はこの短編集に収められている。わたしはいわゆる読書家ではないけれど、『探偵小説 …』で取りあげられている小説や漫画はほとんど読んでいたが(それは多分、著者がわたしと同世代だからだろう)、これは読んでいなかったし、なにより、タイトルの『喋る馬』というのが気になって。
収められている11本。いずれも極貧にあえぐユダヤ系の男が主人公で、大半はあまりに哀しすぎるお話だが、「そこにはほとんど美しいといっていいような叙情性」と微苦笑を誘うユーモアがあり、「貧乏と美が否応なしに、好むと好まざるとにかかわらず合体させられている」。「空虚とは無縁」なのもいい。(括弧内は訳者・柴田元幸のあとがきからの引用)
彼等が「哀しすぎる」のは、貧乏のせいだけではない。ことばとの不具合(?)も大きい。「ドイツ難民」は、ナチスに追われアメリカに亡命してきた批評家にしてジャーナリストだった男が、ニューヨークの社会調査研究所なるところで、週に一回の講義をするという職を得たのだが、英語の上達がままならず、彼に英語を教える学生とともに、ことばとの絶望的な、果てしない格闘を繰り広げる話だ。「ユダヤ鳥」は、ユダヤ人の家族のところに飛び込んできた、ユダヤ語を喋る、一言多い鳥と彼等家族とのユーモラスな攻防を描いたもの。「喋る馬」もタイトルが示す通り、喋る馬が登場する。彼(?)は、聾唖の男とコンビを組んで、サーカスで芸を披露している。その芸とは、むろん、馬が喋ること自体が見世物になっているのだが、喋るその内容は、先に答えを言ってその後に問いを言うというもの。例えば、「向こう側に行くため」と言って、次に「鶏はなぜ道路を渡るのか」といったような。彼=アブラモウィッツ=馬は、いつも自分は「馬の中にいる人間なのか、人間みたいに喋る馬なのか」と自問自答しているのだが、それが種明かしされるラストが凄い。「天使レヴィーン」は、人生51年目に多くの不運と屈辱を被った仕立て屋の話で、信心深いわたしがなぜこんな目にあうのか、助けて下さいと毎日祈っていると、ある夜、大きな黒人の男が彼の前に現われ、お前は誰かと問うと、彼は天使だと名乗り …という、ユーモラスで最後はちょっと泣ける感動的なお話だ。他も全部いい。
ユダヤ人として生まれ、それを抱えて生きていかなければならない人々の苦悩や悲惨を(あるいは栄光?)、残念ながらわたしは共有することは出来ないが、しかし、マラマッドの小説を「ことばとの不具合」という点に絞れば、共有出来る。誰にとっても、ことばは他人のものだからだ。