「匿名」と「引用」 「グランド・ブダペスト・ホテル」ノート⑤2015.03.22
映画を見て批評を書こうと思えば、それだけでもういいのだ。映画批評を書く為には、文芸批評や音楽批評や美術批評に比べたら、その十分の一の専門知識も要求されはしないのだ。映画作家は、F・W・ムルナウの映画のような古典を、一本も見た事も無い人間に批評される事だって有り得るのだ、という事を考慮に入れた上で、映画を作らなければならない。(by F・トリュフォー)
「アンソニーのハッピー・モーテル」を見る。ウェスの商業映画第一作だ。もともとは10数分の短編で、それを90分に引き伸ばしたらしい。話がふたつに割れている感じがするのはそのためだろう。傑作とまではいかないが、新人監督のデヴュー作としては上々の出来。日本版のタイトルが酷すぎるが、彼の作品だと知らずに見たら多分、もっと感心しただろう。主人公トリオが深夜の本屋に強盗に入る件。ハラハラさせつつ笑いを織り込む。なかなかこうはいかない。しかし。
ネットなど見ると、彼の映画を支持する人々は、「ウェス特有の」とか「個性的な画面作り」とかいう言葉を使って賞賛している。確かに、彼の映画には「特別」な印象を受けるけれど、しかしそれは、名ばかりの「映画」が氾濫する中で、彼が真っ当な、映画らしい映画を作っているからそう思うのだ。わたしはムルナウの映画を見ていない、ただのフツーの映画愛好家に過ぎないが、ウェスの映画が、数多の優れた先人の映画に学んだものだということくらいは分かる。そのことを殊更にひけらかしていないところがまたとても好ましい。
この稿の冒頭に掲げたトリュフォーの言葉は、「アキ・カリウスマキが選ぶ10本の映画」(不正確)というようなサイトで見つけたものだが、そこにはこんなアキの言葉も書かれてあった。
「別にわたしは特別な存在じゃない。」
前後がないからこれがどういう文脈の中で語られているのか分からないが、ウェスも同じことを言いそうな気がする。「国の宝」氏の名前を明らかにしないのも、そういうことではないのか。「国の宝」氏が、自分の頭の中に湧き出たものではなく、ゼロから聞いた話を小説にしたように、自分も先人の映画に触発され、彼らへのオマージュを映画にしただけで、それを「個性的」などと言われては面映いです、と。なんて慎ましい!
「グランド~」に関しては、まだまだ書きたいことがあるけれど、もうこれくらいにしたい。キリがないからだ。
あ、ついでに。何回か前に書いた、わたしの夢の中に出てきた「山芋・長芋」の正体が判明した。1932年のグランド・ブタペスト・ホテルのエレベーター・ボーイだ。こいつ、顔が異様に長く、常に体がクネッテいる!