竹内銃一郎のキノG語録

『夜ごとの美女』は素晴らしい! それにひきかえ …2012.12.12

久しぶりに映画館に出かける。
現存する映画監督の中で、この国でと限定すれば、いまわたしがもっとも刺激を受けるのは亀井亨の作品であることは、これまでもここで繰り返し書いてきた。
その亀井の「わたしの奴隷になりなさい」を見に行ったのだ。
亀井映画はこれまで10本ほど見ているが、映画館で見るのは「落葉(わくらば)流れて」以来今回が二度目。
当然のことながら期待に胸膨らませて行ったのだったが、結論から書くと「ガッカリ」でした。 シナリオの焦点がぼけていて、ヒロインの壇蜜がどうにもよろしくない。 見終わってトイレに入ったら、一緒に来たらしいおっさんふたりが、「ポルノでもないし」「俳優が下手やし」「話分からんし」と笑いながらぼやいていたが、まあ、そう言われても仕方のない残念な作品。
なに、壇蜜って! からだがガテン系なんですよ。ガツンと肩幅が広くて、ウエストがなくて、脚も短い。なによりいけないのは立ち姿で、きまらない。絵にならない。おまけに、歩かせると、腰が悪いのか、前かがみになってカッコ悪いことおびただしい。どこをどう押しても、およそヒロインを演じていいタマじゃないのだ。と言うか、そもそもスクリーンになんか出てはいけないひとなのだ。
以前にも書いたが、亀井は女優さんを実物以上にきれいに撮る監督で、それが彼の映画を映画たらしめる最大の原動力になっていたはずなのだが、いったいこれはどうしたことだろう?
壇蜜。バカなのか、それとも根性が悪いのか。いま話題のひとということで、制作サイドに押し付けられたのかな? 出来の悪いシナリオも、多分、アタマの悪いプロデューサーなんかに「アーセイ、コーセイ」と言われて、心ならずもこんな具合に、ということかもしれない。
わたしもそんな経験がある。そもそもホンを読む力のない輩が、ろくに読みもしないで勝手な思い込みや思いつきを偉そうに押し付けてくるのだ。
ま、そういう劣悪な環境の中でだって傑作は生まれるわけですが。
そう、なにもかもが思うように出来るなんてことは、映画や演劇の現場ではありえないわけで。
亀井さん、がんばってチョーダイ!
帰り際に、同じシネコンでC・イーストウッドの「人生の特等席」も上映されてることを知り、翌日出かける。
前述したように、映画館に出かけるのはもう数年ぶりで、だから、チケット売り場で、60歳を過ぎてたら料金千円だと知らされ、大感激。安い! 安過ぎる! と二日続けて出かけたわけなのだ。
薄明の中を黒鹿毛の馬がスローモーションで疾走してくるファーストシーンに「よし!」と呟き、それに続く、C・Eが自宅のトイレでうまく用を足せない自分と自分のイチモツに悪態をつく、切なくもユーモラスなシーンに「ああ、これがC・Eだ!」と映画が始まって5分も経たぬうちすでに感動でうち震え。更に、まるで追い打ちをかけるように、画面いっぱいに広がる、緑の芝生がまぶしい野球場を目の当たりにしたときは、ほとんどわたしは狂喜乱舞状態。これはわたしのために作られた映画ではないか、と。
遊びがあってスキがない。奇をてらうことなく、まさにこれがアメリカ映画だといわんばかりの画作りと話の運び。わたしはしばしそのフツーさに酔いしれる。
しかし。いつものC・Eならば、ここいらで物語りは急角度でカーブするはずと思うところで、一向に変わらない。とにかく、これはパロディかと思うほどに王道を進むばかりで、小津やホークス等々にも通じる、非情なユーモアが冒頭で垣間見えたきり、一向に顔を出さない。そのうちになにかが起こるはずと思っていたらそのままゴール。決して詰まらない映画ではなかったけれど、C・Eの映画にしては…と、少々の物足りなさを抱えながら最後のタイトルロールを見ていたら、なんと監督はC・Eではなく、帰りに買ったパンフを見たら、長年彼の下でスタッフをつとめたひとだとのこと。カメラマン以下スタッフの大半がC・E組のメンバーだったので、わたしもすっかり騙されてしまったのだった。
週末、2週間ぶりに東京に帰り、録画しておいた映画を何本か見る。
目を見張ったのが、いまさらですがルネ・クレールの「夜ごとの美女」。文字通り夢のような映画。これぞ映画!と言っていい映画なのだ。機知とユーモアにとんだギャグ満載!
主人公の音楽家のタマゴが、夢の中で、まさに彼の長年の夢であった自作のオペラがオペラ座で上演され、彼はその指揮棒を振っているのだが、しかし、華麗な楽曲の中に、彼の作曲を妨げてきた街の騒音が流れ込む。このシーンが満載のギャグの中でももっとも美しく驚かされるギャグシーン。
小林旭・長門裕之に浅丘ルリ子がからむ「さぶ」も秀作。監督は、あの傑作「拳銃(コルト)は俺のパスポート」を撮った野村孝。丁寧で力のこもった映画だ。
これまたいまさらですが、浅丘ルリ子がとてもいい。屈折したものを抱えているらしい(彼女のバックグラウンドは映画の中でははっきり描かれてはいない)女性を明解に提示している。 先日録画してあったのを見た、「三谷版 桜の園」の中でラネーフスカヤを演じたひとと同じ女優さんとはとうてい思えない。もちろん、年齢からくる見た目の厳しさはある。しかし、この舞台の浅丘からは、「さぶ」で見せた聡明さのかけらも感じられないのだ。
この芝居のひどさは、改めて書く。いや実に、記憶にないほどひどい代物なのだ、これは!  あ、ひどいのは浅丘ルリ子ではなく、作・演出の三谷幸喜ですから、お間違いなく。

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