消えないで、逝かないで。 「2018 わたしのお回顧様」②2018.12.24
この稿を書くために、ブログ一年分をザっと読む。ああ、いろいろあったんだなあ。6/18に西日本を大地震が襲い、この頃から日本全国猛暑下に置かれ、そしたらちょうど一か月後の9/18、「これで冷やせば?」と言わんばかりの豪雨襲来。そして、次々と大型台風がやって来て。これまで生きてきて多分こんな「天災が打ち続く日々」は初めてのはずだが、でも、今年の夏、わたしを襲った最大の事件は、8/9の「蕁麻疹襲撃」でしたな。あの時の恐怖は、地震や台風をはるかに超えるものでした、死ぬかと思った。
今年も多くの方々が亡くなられましたな。ひとはいつか亡くなるものだから当然とはいえ、しかし、わたしも年齢を重ねて来たからだろう、どなたの死も身近に感じられ、ああ、いつかは自分も …という思いがずっしりと重くなってきている。
去年に続いて、今年も多くの優れた映画に触れることが出来た。それは、ここに来て見る映画の量が増えたということもあろう、まあ、以前に比べりゃ暇ですからね。ブログで取り上げているのは、一月のカウリスマキの「希望のかなた」から始まって、X・ドランの「たかが世界の終わり」R・グランデの「タイム・オブ・トンネル」等を経て、M・Mの「スリー・ビルボード」、J・Jの「パターソン」、そして、JOJOの「箱女~」「ミク、~」と10数本ほどだが、他にも秀作は何本もあり。中でも、フィリピン・マニラのスラム街を舞台に、ホームレスの少女と、路上でのギター弾きを生活の糧としている、盲目の老人との交流を描いた「ブランカとギター弾き」は、忘れがたい秀作。監督はこれが長編処女作らしい長谷井宏紀。日本人の出演者は皆無で、YouTubeで人気があるらしい主演の少女以外は、ギターを弾く爺さんも含め、全員が素人。前回でも健さんのことばを引きつつ書いたが、彼らの<演技>を見せられると、改めて「俳優ってなに?」、と思ってしまう。でも? 映画の最後に哀しいお知らせが。ギター弾きの爺さんは、撮影終了後に亡くなったというのだ。似たような話が他にもあって。これも監督のG・クリンガーの長編処女作らしい、「ポルト」。ポルトガルの都市ポルトを舞台にした切ない恋愛(喪失)映画だが、片足が棺桶の中に? と思ってしまうほど不安な生を抱える主役の男性を、これまた「もしかしたら、こいつは自分自身がモデル?」と思わせるほどリアルに演じたA・イェルチンも撮影後亡くなり、さらに「パターソン」の中で、道化役を見事に演じたパターソン家の飼い犬くんが、これまた撮影後に …。こんなことってアリマス?(今日はクリスマス・イブ)。
前回、NHKBSの「新日本風土記」に触れたが、同じNHKのドキュメンタリー「ノーナレ」も面白い。動物のように生きることを切望する、千松信也氏を取り上げた「けもの道」についてはブログで触れたが、先週放映された「勝利を売る男」も傑作。こちらも取り上げられた大井競馬場の予想屋(わたしと同年齢)が実に魅力的で面白い。何年前になるのか、以前のブログ「無用の介無頼控え」で取り上げた映画「競輪上人行状記」(監督・西村昭五郎)で小沢昭一が演じた主人公とまるで同じ、予想をしながら、ひとはいかに生きるべきかをお客に向けて<説法>するのである。一方、彼の対極に立つ、ITを駆使する若い予想屋(家?)も登場し …。こういうのを見せられると、いくら暇だとは言え、退屈なドラマや芝居なんかに付き合ってなんかいられないです。
最後に、今年刺激を受けたベスト3を選ぼう。「パターソン」(監督ジム・ジャームッシュ)。「ハワード・ホークス読本」(著者・山田宏一)。三歳牝馬三冠とJCまで勝ってしまった、わがアーモンドアイちゃんの活躍!