自粛って言葉が嫌いだ。 卒業式で考えたこと2011.03.21
久しぶりに馬券を買う。久しぶりといっても、先週は開催中止だったから、一週抜いただけだけれど。
こんな時に競馬なんてと思われるかもしれないが、すみません、競馬はわたしの命の水なのです。これを絶たれると生きていけないのです。
いつもは携帯で電話投票するのだけど、回線が使えないということで、道頓堀の場外馬券場へ。いました、いました、わたしと同じ病人たちが。みんなおじさんで、一様にうなだれている。もちろん、被災された人たちに哀悼を捧げているわけではありません。もともとが胸を張って世の中をわたっていけるような人たちではないのです。
それにしても、このうら寂しい光景は! 若い女性が、我が物顔で闊歩していたあの頃は、いったいなんだったのか? 泡(バブル)とともに消えていったオヤジギャルたち。
開き直るわけではないけれど、自粛って言葉が嫌いだ。競馬だって野球だってサッカーだって、やりたければやればいいし、やれる気持ちにならなければやらなければいいのだ。それだけのこと。 もちろん、演劇の公演もだ。やるヤツがえらいわけでもなく、やらないヤツが謙虚だ、という話でもない。
騎手の池添が、「被災者の方々が、ぼくのプレーで元気になれば…」なぞと、新聞のコラムに書いていた。こういうことを言うのは彼ばかりではないし、彼の善意も分かるけど、でもね、池添くん。被災されたひとが競馬のTV中継を見ると思う? 馬券も買えないのだよ。いや、パソコンで馬券購入するIPAT会員なら買えるんだけど。避難所でパソコン操作して、当たったらヤッター!って叫べると思う? そんなことしたら、ほとんど非難の的でしょ、周囲からは。それでもヤルのだ、というひとがいたら、わたし、ちょっと尊敬しますけど。
実はわたし、そんな不届き者を知っています。そいつは、厳粛であるべき法事の席で、あろうことか競馬中継に見入り(主なセレモニーは終わっていたのですが)、ゴールに入るや、ヤッター!と絶叫したというのです。もちろん、大穴が的中したのだと思ったからですが、実は鼻差で1着3着でハズレ。周囲から二重三重に軽蔑されたその男こそ、誰あろう、このわたしです。
19日は、勤務する大学の卒業式でした。これまでも何度かやらかしてくれた今年の4年生でしたが、ここでも信じがたいアホをやらかしてくれました。
他の専攻がどうなっているのか。わたしの専攻では、卒業証書を専攻主任から学生ひとりひとりに手渡したあと、教師からの送る言葉があって、その後、卒業生全員がみんなの前で、一言なにか話すことが恒例となっています。教師の話が終わって、さて、学生たちにとなった時、何人かの女子から、借りた着物を返す時間に間に合わないという話が出て、じゃ、そういうひとは先に話して、話したら帰ってもいいみたいな、そんな成り行きになった、と。
こんなことはもちろん毎年のことですが、今年はいつもと違いました。話したらホントにほとんどの女子は帰ってしまったのです。で、最後まで残っていたのは、結局、40人ほどの出席者のうち、たった10人ほど。最後に話した丑田くんの寂しそうだったこと! 当人はオレがトリだ、決めてやると思っていたはずですが、そんなトホホな状態に。
今までこんなことはなかったのです。何人か途中で帰る学生はいたけれど、それはよんどころない事情があったか、居心地の悪さを感じたかのどちらかだったはず。
決められた時間内に返さなければ、多分延滞料をとられるのだろう。だけど、それが今年はひどく高くなったなんてことがあったわけでもあるまい。もしかりにそうだったとしても、物事には優先順位というものがある。お金よりも、ともに4年間を過ごしたみんなが何を言うのか、好奇心というものがないのだろうか。なにより、そんな行為を失礼と思わないというのにあきれてしまう。
教員のひとりが、東北の震災被害者に対して自分(たち)は、演劇はなにが出来るかと真摯に問う姿勢の必要を卒業生たちに説いていた。S・ソンダグが戦火のボスニアに飛んで芝居をやって、市民たちを励ました例を挙げながら。結構な話です。しかし、そう語りかける前に、こういう時こそ演劇がと本当に思われるのなら、ソンダグに倣って、即座にカンパニーを組織し、原発近くで公演をやって、それが真実であることをぜひ証明していただきたい。そして、右肩下がり状態にあるこの国の演劇にカツを入れていただきたい。それが出来ないのなら、調子のいい掛け声屋、いたずらに言説をもてあそぶお人好しと云われても、仕方あるまい。
いま演劇に出来ること、それは、被災された人々、亡くなった死者たちに哀悼の意を示すことだけだ。むろんそれは、尊敬の対象となるような、英雄的行為とはほど遠いもので、普通のこころを持った普通の人間がなすこと以上ではありえない。