竹内銃一郎のキノG語録

けんきょのくすり (今昔物語改メ)2015.04.20

花粉の攻撃もおさまり、今週からジョギング再開、と思っていたら、今日も雨降り。世の中、思うようにはならない。昨日の皐月賞もそうだ。わたしのPOG・所有馬、リアルスティールはまたもや2着。勝ったドゥラメンテは、POGで狙っていた馬だから余計に口惜しい。でも、3強の中では、まだ馬体が子供で、つくべきところに筋肉がついておらず、のびしろは一番のはず。ダービーは必ず勝つゾ。

リアルの父親のディープインパクトもわたしの所有馬だった。あんな馬はいないな。競馬界のONだ。出遅れ癖があり、いつも途中までヒヤヒヤしたが、それもちょっとしたファン・サービスに過ぎず、直線に入ればあとは他馬をひき離すのみ。ほとんど楽勝。落馬しないかぎり、3本脚でも勝てると思った。なぜ凱旋門賞で負けたんだろう? 騎乗していた武豊も、いまだにあの時の夢を見てうなされるという。ウィキにこんなことが書いてあった。

競走馬時代の担当の獣医師も、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている。種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している。

自らを誇示しないというのがよい(これもONと同じ。なんて謙虚!)。他馬と競り合うと気を抜くところがあったと武豊も言っている。それも凱旋門賞の敗因のひとつだったのではないか、と。それにしても、ウィキはなんでも知ってるな。

わたしの戯曲の上演依頼のメールが届く。今年になってこれが6件目だ。以前にも書いたが、これは嬉しい。上演するとなれば、出演者・スタッフは、わたしの戯曲を、少なめに見積もっても数十回は読むのだ。「ボヴァリー夫人」のような世界文学だって、研究者は別として、こんなに繰り返し読むような熱心な読者は持っていないはずだ。おまけに、みんなであーでもないこーでもないと、頭を捻ったり、議論してくれたりするわけでしょ。たとえそれが、わたしの思うところとはかけ離れていたとしても、そのこと自体がわたしにとっては身に余る光栄で。

今でも年平均で20件ほど上演依頼があるのだが、その昔、80年代には多分、その倍くらいはあったのか。当時の情報誌「シティーロード」(懐かしい)に、年間戯曲上演ランキングが載っていて、わたしは、別役さん、清水(邦夫)さん、北村(想)さん等といつも上位にならんでた。そういう時代があったのですよ。大半は大学のサークル、高校演劇による上演だったのですが。いまはもう、高校生もいわゆる「既成の台本」は使わないのが前提になっている。

そもそも今どきの高校生は、演劇部員だって戯曲なんて読んでませんからね。大学の戯曲の講義で新入生に、その種のアンケートをすると、ほとんど読んでなかったし。戯曲を手にしたこともないのに、戯曲を書くだの、芝居をしたいだのという、その了見が分からない。自分のこと、天才だとでも思ってるのかな? 自分の中に眠っている才能を見出し引き出してほしいと思って、大学に入って来た? だとしたら虫がよすぎる。「準備は、言い訳の材料をなくすため」と語るイチローの、謙虚の爪の垢でも飲んだらいいのに。

 

 

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