竹内銃一郎のキノG語録

またもやの訃報 大島渚のこと2013.01.17

大島渚が亡くなった。新聞に載っていた彼のフィルモグラフィーを見てみると、遺作となった「御法度」以外は、松竹のPR映画みたいな助監督時代に作った短編まで全部見ている。
格別のファンではないのだが。でも、好き嫌いは別にして、大島渚は、黒澤明と並んで、戦後日本映画の二大スター監督といっていいだろう。
作品も、作品を作ること自体すら、常に好奇と議論とそしてスキャンダルの対象となった。猥褻をめぐっての裁判になった「愛のコリーダ」がその好例だが、それは明らかに映画ファンの外側をも巻き込むようなスケールがあった。芸術性云々とは関係なく、映画、映画監督とは本来そういうものであろうと思う。
そう。映画監督がスターであった時代があったのだ。わたしの母は、ごくごく普通のおばさん・おばあさんだったが、それでも大島渚の名前を知っていた。むろん、彼がコメンテーターとしてテレビに頻繁に出演する前から。なぜか「ナギサ」とファースト・ネームで呼んでいた。
常々「変な映画を撮る監督と呼ばれたい」とインタヴュー等で語っていたらしいが、フィルモグラフィーを見ればそれは一目瞭然だ。フランスで撮った「マックスモナムール」なんてその最たるもの。だって、中年夫婦の間に猿が割って入って三角関係になるって話なんだから。
昨日も授業で学生たちに話した。大島が「ユンボギの日記」をどうやって作ったかを例に出して、作品を作るときに金がないことを理由・言い訳にするな、と。
金がないことを引き受けて作品を作る。あえて大より小を選ぶ。これはまさに、初期のいわゆるアングラ・小劇場の現場の基本姿勢であったように思われるが、しかし、わたしの場合は、唐さんや鈴木さん等々に倣ったというより、先ごろ亡くなった若松孝二や大島渚の映画作りに憧れた、その結果の選択であるように、いまにして思う。

わたしの渚ベスト5(順不動)
「愛と希望の街」(長編第一作。原題「鳩を売る少年」泣ける)
「日本の夜と霧」(学生運動の映画。この作品が問題になって松竹を辞める。ワンシーン・ワンカット!)
「悦楽」(18禁といって、18歳以下は見てはいけない映画を初めて見たのがコレ。あの暗闇の中のドキドキ)
「日本春歌考」(吉田日出子さんに魅せられる。後年、一緒にお仕事をする機会があり、夢のようでした)
「少年」(ナギサのピュアさ全開!)

一覧