竹内銃一郎のキノG語録

隠し絵 「チュニジア~」の冒頭について2017.05.04

「チュニジア~」は、自称20世紀最後の映画監督Kの長台詞から始まる。場所はチュニジアにある、元世界的アイドル歌手マルグリットの邸宅。Kは彼女に彼の新作への出演交渉に来ている。長々とKが語っている新作の内容のあらましは、これから始まる劇に重なるところがあるものだ。むろん、劇を最後まで見なければ、その<秘密>は明らかにならないのだが。

先週の土曜に放映された「美の巨人」で、若冲の代表作と言われている「動植綵絵」の中の幾枚かには、「隠し絵」が仕込まれているという論が紹介された。梅の木の枝にとまっている鶯と梅の木の枝ぶりとが相似形をなしており、彼の絵の不思議な造形はそういうところからきていて、それは、樹木も鳥もあらゆる動植物はこの地上にあるものとして等価だと考える彼の世界観の表明で …というものだった。その是非はともかく。わたしが興味をもったのは、自分も戯曲を書くときにも、そのようなこと、つまり、核になる人物や事物と似たものを物語に仕込むことがあるからだ。ただいま改訂進行中の「チュニジア~」がまさにそれで、冒頭のKの長台詞は、これから始まる物語のいわば予告編=圧縮版になっているのだ。

10人家族の家庭を舞台に、彼らが繰り返し互いの臓器を交換しているうち、いつの間にか誰も知らない11人目の<新しい家族>が生まれている、という荒唐無稽なお話。これがKが語る只今準備中の新作「鳥の歌」のあらましだが、続けて、この企画はそもそも、新聞で読んだ奇妙な偽札作りの男に興味をもったところから始まっていて …と、Kのひとり語りはなかなか終わらない。

語られる内容よりも、いま語っていること・ひとの方に観客の関心をむけたいというのがわたしの<常套手段>で、だから、ここでKがなにを語ろうがどうでもいいわけなのだが、まだなにも書かれていない・始まっていない冒頭となれば選択肢は無限にある、とりあえずの形を与えなければと考えて選んだのが、細部(部分)と全体が呼応するような、これから始まる劇の相似形(=予告編・圧縮版)だった、ということなのだ。

Kは、冒頭で自らが語ったことをなぞるように、劇の終盤、映画監督を騙る詐欺師であることが明らかになると姿を消し、マルグリットが亡くなると、今度は彼女の<新しい家族>としてみなの前に再登場する。

Kが語るこの物語、実は、この「チュニジア~」を書く前に私自身が準備していた新作のもので、それがなかなか書けないので「チュニジア~」に乗り換えたのだが、いつの日か書かれんことを願いつつ、その痕跡をここに挿入したのだった。タイトルの「鳥の歌」は、当時、朝の目覚めによく聞いていた、パブロ・カザルスの曲名から借りたもの。久しぶりに聴いてみようとユーチューブを開いたら、ナターシャ・グジーという女性がこの曲を歌っていて、その妙なる歌声と美貌たるや、なんともかとも! いやあ、驚いた。

 

 

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