竹内銃一郎のキノG語録

退屈な百の真実よりも、美しいひとつの嘘を。 「タニマラ」メモ⑩2018.04.19

明日20日が初日の「タニマラ」、「チュニジアの歌姫」は、第二章「傷ついたもの」の前半のみ15分の上演。歌姫・マルグリット(M)は登場しない。この戯曲には、下敷きとした映画がある。ビリー・ワイルダー監督の傑作「サンセット大通り」(公開1950)である。Mのモデルとしたのは、かっては大スターだったが、いまはすっかり落ちぶれた老齢にさしかかった女優。たまたま彼女の豪邸に入り込んできた脚本家志望の男に惚れこみ、自分を主役にしたシナリオを彼に書かせて、かっての栄光を取り戻そうとするが …。というお話。似てますねえ。ただ、映画のヒロインと違って、MはKと会うまでカムバックなんて夢にも思っていなかったのですが。

第三章「制御できない流れ」 冒頭でとんでもないことが発覚する。マリアが「映画監督カール・フレッシュ、暴漢に撃たれる」という新聞記事を読んでしまうのだ。マリアが驚いているところに、Mとナディーヌが登場し、Kをめぐって激しい口論。そこへ、お金(映画製作資金という名目の)の催促に来たKが現れると、Mは彼に「二度と娘に手を出さないで」と懇願し、「あなたを愛してる」と言葉を重ねる。KはそんなMに「これ以上ここにいると、あなたに幻滅してしまうから」と言って帰ろうとすると、Mの主治医のダーク、料理人のオワールが登場し、Kに「カール・フレッシュは殺されたはずだが …」と今朝の新聞を見せ、きみの嘘はばれた、出て行けと言い放つ。Kは「確かに、ぼくはカール・フレッシュだと偽った。しかし、これが犯罪だろうか」という問いかけを始まりとして、「退屈な百の真実より、美しいひとつの嘘を」というラブレーの言葉を引用し、映画作りにかかわること自体がすでに犯罪行為であること、そして、「厳密であること、そして非合法を恐れないこと」というやクレーの創作法を持ち出して、自らの行為の正当性を主張する。これに対するダークの、医学的見地からの反論・犯罪論は面白いが長くなるので省略。ふたりの激しいやりとりを黙って聞いていたMは、Kに軍配を上げ「でも、わたしはあなたの映画に出るんじゃないの。このマルグリット・ユニックの映画をあなたが撮るのよ」と言ったあと、オワールに銀行に行ってお金を引き出して来るよう命じ、疲れたからと二階の自室に消える。Kはナディーヌとふたりきりになると、「ぼくは震えてる。理由はふたつある」といって、映画が撮れるかどうかという不安、そしてきみへの愛が、と震える理由を挙げる。ナディーヌも「わたしも震えてる」とそれに応え、ふたりで見たテオ・アンゲロプロスの映画「霧の中の風景」の話をする。いきなりマリアが飛び込んできて、「お嬢様、奥様が」とMが自室で倒れていることを告げる。Kの「愛は痙攣する!」という台詞で暗転。

第四章「死と焔」 ナディーヌが電話で、Mが二時間前に亡くなったことを親戚に伝えているところから始まる。ダークや使用人のマリア、オワールとともに葬儀の準備をしていると、Kが現れる。Mが倒れて以来、見舞いにも来なかった彼をダークは「恩知らず!」と責めるが、Kは、自分は楽天的だから、いつかMは元気になる、ナディーヌからMの危篤を知らされた時も、すぐにあれは間違いだったと電話してくるはずだと、それを待ってた、と応える。マリアがMの部屋にあった写真を持ってくる。若き日のMが赤ん坊を抱いている写真。それを見てKは、この赤ん坊は自分だと言い、このMが着ている水色の服も憶えてるなどと言い出し、「生まれて間もないこんな赤ん坊に、そんな記憶があるわけない」という当たり前なダークの言葉にも動ぜず、Mが眠る二階に急ぐ、<母>との再会をはたすために。テオが現れる。手に銃を持ち、Kを追って二階へ。そして、銃声。

エピローグ「快晴」 シュット・エル・ジェリド湖畔 夏。KとMはピクニックにでも来た風情で、シートに座り、サンドイッチ等を食べている。まるで仲のいい母子のようなやりとり。もちろん、ふたりは亡くなっている。そこにダークとオワールが現れ、さらに、マリアとお腹の大きなナディーヌが日傘をさして現れる。立ち昇る蜃気楼に包まれて、死者と生ある者とが溶け合って …   おしまい

誤解のないよう申し添えれば。客観的に見れば、KのMへの接近は、自らの借金返済を目的とした詐欺行為のようである。しかし、Kがチュニスに来たのは、Mに会いたい、ただそれだったのであり、会うための口実として、ファンでもあった「カール・フレッシュ」を騙ったのだ。それが、Mの方からの想定外の積極的な接近があり、それが映画の製作資金集めという嘘をうみ、さらに嘘が次々と嘘を呼んで、気が付いたら後戻りできなくなったと、これが真相かと思われる。それにしても。久しぶりにちゃんと読み直して、Kは屁理屈の天才じゃないかと感心してしまった。むろん、それを書いたのは、誰あろう …。書いてから20年も経てば、親しい他人が書いたものになってしまう。

「チュニジア~」は、来月の「動植綵絵」の公演が終わったら、データ化にとりかかるつもりなので、お読みになりたい方は、遠慮なくご連絡下さい。

 

 

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