竹内銃一郎のキノG語録

頭のグルグルが止まらない。 ランティモスの「聖なる鹿殺し ~」を見る。2019.05.24

なにもない黒い画面にしばらく、静かで荘重な音楽が流れる。と、突然画面いっぱいに血まみれのひくひく動く白いものが映し出され、しばらくするとそこにピンセットが割り込み、白い手袋に覆われた手指も侵入し、ようやくそれが手術中の場面だと分かる。そして手術の終わりを告げるように、ポリバケツに血に染まった白い手袋が投げ込まれ、次には、手術を終えたふたりの髭面の中年男性が、親しそうに話をしながら病院の廊下を歩いてくる。その話の内容は、おぞましかった手術シーンとは裏腹の、のん気な(?)互いの腕時計の性能の話なのだが、しかし、清潔感溢れる廊下はひたすら長く、こちら(カメラ)に向かってゆっくり歩いてくる、その空気感がなんとも不穏なのだ。次に、手術をしていた半面黒髭の外科医(主人公)がひとり、レストランの椅子に座っているカット。そこへ、高校生と思しき男の子がやって来て、待たせたことを詫び、お腹がしているのでと、料理の注文をする。ふたりの関係はこの時点では不明だが、ここでもふたりの間に不穏な空気が漂っていて、なにかあるなと思わせる。次のシーンは、主人公の車が停まっている川べりの駐車場。主人公は、先の男の子に、高級と思わせる腕時計をプレゼントする。渡す外科医と受け取る高校生、ともに親し気な振舞いなのだが、しかし、どこかぎごちなく。ゆえに、ふたりの背後に広がる青空はひたすら美しいのだが、その美しさがまた見ているわたしに不安を募らせて。次は同じ日の夜。場所は主人公の<いかにも金持ちな>家の食堂。彼と、眼科医であるらしい妻、そして、12,3歳かと思われる、可愛いというより綺麗な女の子と、可愛い女の子かと見間違えた髪の長い、7,8歳(?)の男の子と、四人家族の夕食場面。交わされる会話の内容は、取り立ててなんということもないのだが、彼らの間には微妙な隙間があり、その僅かに見えた隙間が、先の高校生によってどんどん広げられ、ついには …。これは、ヨルゴス・ランティモスの、「ロブスター」の次、「女王陛下のお気に入り」の前に撮られた映画、「聖なる鹿殺し ~」の冒頭10分ほどの中身である。彼の映画にはいつも、瞬く間に吸い込まれ、そして、いいように遊ばれ、翻弄されてしまうのだが、この作品にもまた。ネットから得た情報によれば、この作品のベースにはエウリピデスが書いたギリシャ悲劇「アウリスのイピデネイヤ」があるとのこと。早速Amazonに注文する。

前回触れた「ウインド・リバー」は、その綿密繊細なシナリオ・演出にわたしはすっかり感服させられたのだが、こちらは、前半で不穏な空気を漂わせて気弱なわたしを怖がらせ、後半はもう、次々に起こる不可解な事故・事件の連続に、わたしの体はほとんど凍りついてしまった。見終わって半日以上過ぎたのに、あまりの怖さと不可解さとで、体の凍えは薄らいだものの、頭の中のグルグルはなかなか止まらない。

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