竹内銃一郎のキノG語録

この凄腕はなんだ?! 映画「ウインド・リバー」賛!!2019.05.23

黒い画面に「事実に基づく」と書かれてその映画は始まる。一面雪に覆われた夜の白い平原を走る少女に、手紙に記された文面か、あるいは詩として書かれたものなのかは不明だが、それを読み上げる少女の声がかぶる。しかし、走る少女と声の主が同一人物なのか、そうでないのかは分からない。走っている少女は雪の中で倒れ、遠く山なみの上に満月が光っている。なんとも心惹かれる始まり。

「受賞」などほとんどあてにならないと、これまで何度も繰り返し書いてきた。そのいい例が、何度か前に触れた「万引き家族」だが、つい最近見た、一昨年のカンヌで主演男優賞と脚本賞を受賞したらしい「ビューティフル・デイ」という映画がこれまたサッパリの映画で、だから、同じ年のカンヌの「ある視点部門」で、監督賞を受賞した「ウインド・リバー」も、どうせまた …と、さほどの期待もなく録画を作動させたのだがこれが! 前述した始まりの5分足らずで、片時もTVの画面から目を離せなくなってしまったのだった。

中身の詳細はネットで検索していただくか、レンタルで見るかしていただくことにして。まず脚本。監督自身が書いているシナリオがまあ手が込んでいて素晴らしいのだ。主人公・コリーは、舞台となっているアメリカ・ワイオミングの山岳都市ランダーの野生生物局員で、仕事の中身は家畜の牛・羊等を守るため、猛獣狩りをするハンター。彼が住むその街はアメリカン・ネイティヴ保留区で、彼は白人だが、彼と別れ話が持ち上がっている奥さんは、アメリカン・ネイティブ、という設定。ふたりの間には大学入学が決まったらしい女の子と小学校低学年と思しき男の子いたのだが、女の子は亡くなっている、という設定。前述の事件捜査のためにFBIから派遣されてこの街にやって来たのが、アラサーと思しき女性・ジェーンであるという設定。さらには、殺された18歳の少女の父親はコリーの友人で、なおかつ、その少女はコリーの亡くなった娘の友人であったという設定等々、舞台、人物等々の設定が実に綿密に考え抜かれているのだ。また、重要なシーンを、沈黙と饒舌を巧みに織り交ぜながら成立させる腕、あるいは、コリーの家で、彼が語る娘の死に関する話を聞いたジェーンが、「トイレを貸して」となんとも場違いなことを言ってその場から去り、トイレで泣くという小技も効いている。演出力もまた監督賞に相応しい力量で、印象に残るシーンは多々あるのだが、その見事さに唸ってしまったのは、こんなシーンである。

コリーはジェーン、警察官とともに、先に書いた彼の友人(ネイティブ)に娘の死を告げに行く。友人はその報告を受けても黙して語らない。ジェーンが「奥様はどこに?」と問うと、会う必要はないと答えるが、ジェーンは隣の部屋のドアを開けると、奥さんがリストカットをしていて、驚いた彼女はそれを止めずにすぐさまドアを閉め、友人に「ごめんなさい」と謝る。友人は耐えられないとでも言うように、外に出るべく玄関のドアを開けると、すぐそこにコリーが立っていて、友人は低く泣きながらコリーに抱きつく。このカット、凡庸な概ねの監督は、おそらく、観客の涙を誘うべく、コリーの背後に回って友人の泣き顔を撮るか、もしくは、抱き合うふたりの泣き顔を得るべく、横から撮るのではないかと思われるのだが、画面にはほとんど無表情のコリーと友人の震える背中が映っているだけだ。そして次のカットは玄関の外。手前に友人が立っていて、柱を挟んで向こうに立っているコリーが、ゆっくりと友人を諭し励ますように、「この哀しみを忘れるな。忘れなければ娘はいつまでもお前のそばにいる」と、目にうっすらと涙を浮かべながら語るのだ。この語りの途中、ゆっくりと柱の向こうから友人の方に近づくというのがまた、一段ギアが上がった感じで、いいんですよ。

まだまだ書きたいことはあるのですが、今日はここまで。あ、ひとつ書き忘れたことが。今回のタイトルにある「この凄腕」はもちろん、監督への賛辞ですが、もうひとつ、主役・コリーの射撃の腕が並大抵じゃない、というのも意味しているのです。狼を射殺するシーンも含めれば三度ある、銃撃戦の凄いこと!

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