竹内銃一郎のキノG語録

1981年「あの大鴉、~」再演 活動の記憶⑮2020.06.03

6月に入って、久しぶりにわたしの戯曲の上演許可願いが届く、2本も。そのうちの1本は「大鴉」! 「コロナ感染第二波到来か?」なんて調子に乗ったニュースが繰り出される中、無事公演が出来ますように、と祈るばかりだ。

さて、本題。以前にも書いたように、十条銀杏座で81年2月に「大鴉」を再演したのだが、チラシを見て驚いた。2月20日を初日にこの週から3週間、金・土・日と計9ステージもやっているのだ。手元にある再演のチラシには書かれていないが、東京での公演の前に名古屋(七つ寺共同スタジオ)・大阪(オレンジルーム)と旅公演をしていて、わたしの記憶では、両方合わせて1000人を超える大入り、意気揚々と帰京し、満杯の客席を予想して東京公演初日を迎えたのだがこれが …! どれだけお客が入るのかと思いきや、多分150くらいあった客席の4分の1くらいしか埋まっておらず、「ケッ、あんなに大きく各紙に取り上げられたたのに、なに? これ!」と、一同ガッカリ落胆。日を追うごとに客は増え、最後の週の三日間は確か満員になったはずだが、それでも、旅公演の客数には及ばなかったのだ(なんなんだろう、東京って?)。忘れられないのは名古屋でのこと。ドッカンドッカンと終始笑いの渦が巻き巻きしていたが、なかでもひとり、花道脇に座った男性客で、ただ笑うのじゃない、花道をバシバシ叩きながら大笑いするひとがいて、あとで劇場のひとに「あのひと、誰?」と聞いたら、「通称笑い袋と言って …」と教えてくれた。去年の11月、久しぶりに七つ寺での公演があり、「あのひとまた来てくれないかなあ」と思ったのだが …。

思い出せなくて気になってることがひとつある。初演の方のチラシの裏に、「劇団員募集」が載っていて、試験日は来年1月上旬とある。これに何人の応募があったかは覚えていないが、確か男子3人が合格。そのうちのひとりは、秘法が解散するまで在籍していた小林(三四郎)で、もうひとりは、秘法合格があったあと、共同通信だか時事通信だかから合格通知が届き、「大鴉」再演の裏方を手伝ってくれた後、退団した岡本くん、それからもうひとり、いたはずなのだがこれを思い出せない。彼も多分、公演の裏方を手伝ってくれたんだと思うけど。スマン、岡本くんがかなりの二枚目だったことは記憶にあるんだけど、こっちのキミ、なんらかの事情ですぐに辞めたのだと思うけど、名前も顔も全然思い出せない。もしもコレ読んでたら、キミ、教えてくれる?

3人の男が<見えない大ガラス>を持って、「押すな」「押してない」を繰り返しながらの登場からこの劇は始まる。このヤリトリのおかしさは、それなりの時間がかからないと<劇的>にはならず、だから、それが不可能だった初演の劇場(確か劇場の入口の外から怒鳴りあいながら登場したのかな?)は、なかなかキツかったのだ。しかし、旅公演も含め、再演はどの劇場でもそこそこに長い花道を組め、ホンが想定している通りのことが出来て、だからこそ、笑い袋氏を大笑いさせることが出来たのだ。

 

 

 

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