竹内銃一郎のキノG語録

秘法の第二弾は「壱」である。 活動の記憶⑯2020.06.07

昨日は、今年のPOGのわたしのドラ1で、かってのPOGでわたしの持ち馬だった名馬・ブエナビスタの息子ブエナベントゥーラが断然の一番人気で惜敗2着、ひょっとしたら今日の安田記念の圧倒的一番人気のアイちゃんも? と心配していたらやっぱり2着。人生・物事に絶対はないことを改めて確認させられる。クー(泣く)。

てな話はさておき。秘法・二度目の公演は、「食卓㊙法(テーブルマナー)溶ける魚」で、1981年7月8日~15日(計10ステージ)、劇場はJR大塚駅のすぐ近くにあった大塚ジェルスホールで、キャパは80くらいではなかったか(楽日には百数十人入って劇場の記録を作る)。出演者は前回同様、木場、小出、森川の三人だけだが、チラシの裏にはズラッと14人の劇団員名が並んでいる。創立メンバー5人に小林が加わり、その後、「大鴉」の再演終了後に劇団員を募って8人増えたのだ。懐かしい(みんないまはどこでどうしているのだろう?)劇団員名が並んでいる上のところに、以下の文章が置かれている。

既にお気づきのように、この公演をむかえるにあたって、劇団名を≪零から壱へ≫改めました。これより以降も、至高点をめざして歩を運ぶがごとく、公演の度ごとに、「弐番館」、「参番館」と改名を重ねていくつもりですが、これらは、いわば、芸名・仮名・匿名にあたるものであり …(後略)

これまでもあちこちで書いたり喋ったりしているが、ワタクシ的には、「大鴉」よりもこっちの方が当時も現在も変わらず好きである。以前にも書いたように、わたしはまずタイトルありきで内容は後から考える。タイトルの「食卓㊙法」は、劇団名を前面に押し出したかったからだ(㊙というのがなんか、いいでしょ)。「溶ける魚」はA・ブルトンの作品(小説?)から無断借用したものだが、溶ける魚→「うなぎの話」というのは、わたしのオリジナルである。

登場人物は、うなぎ壱、うなぎ弐、笑い男の三人。うなぎ壱・弐がつつましく生活しているアパートの小部屋に、夜毎「笑い男」がうなぎを持ってやって来る。最初は心待ちにしていたが、そのうち、男にはなにか魂胆があるような気がして、その日、ふたりは男の<侵入>を防ぐため、部屋をバリケードで固める。これで良しと、ふたりが歌ったり踊ったりしていると、突如、バリケードを蹴破って笑い男が登場! そして …。丁丁発止、逆転に次ぐ逆転というのがこの話の内容だが、この時の、手塚(俊一)さんの舞台美術は、わたしの演出作品の中では最高傑作だった。以前にも書いたが、三方の壁一面に雑誌に掲載された数多の写真が幾重にも貼ってあり、それが、当てられる照明によって、貧乏くさい室内がまるで海の底のように、様々にその表情を変えるのだ。

笑い男を演じた小出の怪演も忘れられない。久しぶりに戯曲集「戸惑いの午后の惨事」に入っているホンを読んで改めて驚く。全61頁のうち、笑い男が登場するまでの18頁と彼が消えてからの7頁は、壱・弐のふたり芝居になっているが、残り36頁の8割ほどは笑い男のひとり芝居になっているのだ。ボケてはツッコみ、ツッコんではまたボケ、こんな役を軽々と楽しく演じた小出のような俳優は当時もいまも、そんなにはいないはずだ。もうひとつ忘れられない思い出が。全体の3分の2が終わったところで暗転になるのだが、ト書きには以下のように書かれている。

暗転。 桂文楽演ずるところの「鰻の幇間」のさわりの部分が流れる。 この間、場内には、香りかぐわしい蒲焼を焼く匂いが漂うはずだ。

これを実際にはどうしたか。通常は、場内の空気を外に流す換気扇を逆にして、つまり、ロビーで蒲焼を焼いて、空気=蒲焼の匂いを場内に流し込んだのだ。終演後のアンケートに、多くの客が「蒲焼が食べたくなった」と書いていたほど、これはこの芝居の出来を一段二段上げる効果となったのである。(この方法、誰が考えたのだろう?)

 

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