竹内銃一郎のキノG語録

いつまで続く「鼠穴」2014.11.07

書き始めたときはまさかこんなに長くなるとは思ってもみなかったが、ここまで来たらとことん行ってやろう。

最初に書いたが、わたしが接した「鼠穴」、円生のものは映像があり、談志、志の輔のものは声のみである。両者を比較をするのに、これは些か妥当性を欠いているかも知れない。また、同じ噺・演者でも5年10年の間にずいぶん変貌することは十分考えられようし、日によって出来不出来も当然あるから、ある日ある時のたったひとつを比較してどうこう言うのも、これまた疑問がないわけではない。そこが小説や映画と演劇や落語等との大きな違いである。ということもあり、ユーチューブで、前に聴いたものとは別の談志の「鼠穴」も聴いてみた。声の調子からより古いもののようだ。声も若く喋りのスピードも早い。しかし、細かな違いは幾つかあるが基本線は変わらない。

志の輔は師匠である談志のものをほぼ踏襲しているが、もちろん細かな違いは多々あり、弟が焼け出されて兄に金を借りに来た際、火事になったら俺の財産をくれてやると兄が言った言わないの激しい水掛け論になるのは志の輔の方である。

三者の違いを映画に例えると、円生はモノクロ、談志はカラー、志の輔はカラーでワイドになっている、という感じか。弟が3文の借金を返しに来たとき、その3文の兄の真意を知り、師弟コンビの弟は泣き出してしまい、そして、弟の兄へのわだかまりは一気に氷解すると、そういう感動的なシーンに仕立て上げている。つまり、弟から見れば、そして客の目にも、「良き兄」と映ったはずの男が、後に、いざ弟が苦境に立ったら「鬼」のような男になってしまったと、この噺をこういう分かりやすい仕立てにしている。分かりやすいとは、通俗性が高いということであり、前回にも書いたが、奥行きに欠ける、ということだ。しかし、円生の演じる兄の弟に対する態度は、少なくとも表面的には一貫して変わらない。にこやかに3文と2両を受け取り、そして、にこやかに弟の再建資金借り入れを拒絶する。

円生と師弟コンビの違いは、対象を主観的に見るか、より客観的に見るかの違いかもしれない。半鐘の音の違いもそういうことだ。前回書いたように、円生は一度しか鳴らさないが師弟コンビは複数回、それもいささか声を張り気味にして鳴らす。熟睡している者にその音はどう聞こえたか。円生の選択は、遠くからぼんやり、それが聞こえたような気がしたという表現だろう。後者のそれは、まるで耳元で聞こえているかのようだ。つまり、激しく鳴らして客の不安を募らせる、あるいは、弟がいかに危機的状況下にあるかを表現せんとしたのだろう。しかし、リアルに考えれば、耳元でそんな大きな音がしたら、兄ばかりではなく弟だって驚いてすぐにとび起きるはずだ。しかし、弟は兄に起こされてもすぐには起きないのである。ここでも話の作りの巧さが垣間見える。弟が兄の家に泊まるのはこれが初めてのはずだ。いくら肉親の家とはいえ、初めての家でそれほど熟睡できるものだろうか。それが出来たのは、要するにそれほど兄に心を許したということだろう。更には、火事をあれほど気にかけていたはずの弟である、それが半鐘の音に先に反応したのは兄の方なのだ。なぜか。これも深読みすれば(?)、両者の商売人としての力量差の表現であるように思われるが、どうだろう?

弟は家に駆けつけ、次々と燃え落ちる蔵を目の当たりにすることになるが、ここでの表現も両者では違う。師弟コンビのそれは、まるで燃えさかる火の中で弟は右往左往しているかのようで、さらに、蔵が燃え落ちた時の落胆ぶりも、とりわけ志の輔の演じる弟はほとんど腰から崩れ落ちるほどの落ち込みようだ。しかし、円生の弟は、燃える我が家を少し離れたところから見ていて、それこそ客観的に、ひとつ蔵が燃えても、まだ二つある、二つ目が燃えてもまだひとつと、手のほどこしようがない態に終始していて、三つ目の蔵が燃え落ちたときにやっと(?)、持っていた提灯を落としてしまうという具体的なリアクションを示すのだ。要するに、ここでも師弟コンビは、派手で分かりやすく、安手の客がいかにも喜びそうな演出を選択しているのだ。しかし、これもリアルに考えれば、素人が火事の現場に近づけるはずはなく、さらに言えば、江戸が度々大火に見舞われたことは誰もが知るところで、弟にとっても火事はいわば見慣れた光景であり、もちろん、それがわが身に降りかかろうとは思ってもみなかっただろうが、だからこそ、すぐにはこれが我がことのように思えなかったのではないか。そう、当事者であればあるほど、遭遇した出来事が大きければ大きいほど、ひとはそれが事実であるとは思えず、あるいは、事実であると受け入れられず、これは夢ではないか、ドラマの中のワンシーンではないかと、立ち尽くすほか手はないのだ。円生はまさにそのように演出している。

大詰めに近づいている。次回でようやく幕を下ろせそうな気配だが、はたして?

 

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