今日も「鼠穴」2014.11.06
今日も訂正から始めよう。ふたつある。ともに、間違いというより事実関係がよく分からない事柄だ。前々回に、わたしが聴いた談志の「鼠穴」は、彼が40台のときのものかと書いたが、もう少し年齢がいってるような気がする。CSの衛星劇場で談志の「枕スペシャル」と銘打った番組を見て、それは90年代のもののようで、そこでの声と「鼠穴」の声の調子が近いように感じたのだ。談志は1936年生まれだということだから、わたしが聴いたのは、彼が50台半ばくらいのものだろう。もうひとつは、親の遺産相続に関すること。前回、兄には総取り出来る権利があったように書いたが、ネットで確認したら、江戸時代には必ずしもそうと決まっていたわけではなく、当事者たちを中心にした話し合いで決まることの方が多かったらしい。ということになると、話はさらに込み入ってくるのだが。
何度でも繰り返すが、「鼠穴」は実に上手く話が出来ている。兄弟ふたりの差異の設定が実に微妙で、そこがドラマの核心にもなっている。兄は遺産の半分を貰って江戸に出、弟は残って家業の農家を継ぐことになったわけだが、本来ならば、家業を継ぐのは長男である兄でなければならなかったはずで、幾ばくかの金を懐に江戸へ行くべきは弟だったはずだ。弟も本当は江戸へ出るのを望んでいたとしたらどうだろう? 台詞では悪い仲間に誘われて、酒・女・博打で金を使い果たしたと言っているが、その根っこには自分は兄のために貧乏くじを引かされたという思いがあったのではないか。となると、兄の前では常にけなげに振舞っていた弟も実際は、決して小さくはない屈託を抱えていたことになる。
一方、兄の方も。弟は江戸に出て二年目にようやく食っていけるめどが立ち、周囲のひとのすすめもあって結婚をし、翌年には可愛い娘をもうけている。が、兄は、40半ば(推定)を過ぎても独身である。これは現代でもなぜ? と思われようが、当時ではさらに不可解なことだ。それなりの店を構えているのだから、嫁を貰って跡継ぎをと思うのが普通だからだ。この件に関してはなにも語られていないが、要するに仕事仕事の日々を送るうちに婚期を逃したということだろう。そんな仕事一筋で生きてきた兄の眼に、子ども連れで借金を頼みにきた弟がどう映ったろう? 改めて自分に女房・子どもがいないことを確認し、寂しさと後悔と、嫉妬さえ覚えたかも知れない。さらには、そんなフツーな生活に安穏としていたからこんなことになるのだ、ザマー見ろという気持ちがあっても不思議はなかろう。
そもそもが奇妙な兄弟である。彼等は、田舎で別れてから弟が3文の借金を返しに来るまでの(推定)20年の間に、たった二度しか会っていないのだ。弟の結婚式にも兄は欠席、子どもが生まれても、ま、祝いなど贈ったのかもしれないが、ふたりは会ってはいないのだ。ともに江戸にいるのにである。
むろん、火事以下の出来事はずべて夢の中の話で、夢オチはよくある設定だが、この噺ほどこの形式を巧妙に使った作品をわたしは知らない。この件については改めて書くことにして、話を二度目の再会に戻そう。
わたしが円生演出を採るのは、弟の兄に対する恨みはとうに消えているはずだと思うからで、仮にそれがあったとしても、兄に対する屈託を露にしないからこそ、ふたりが久しぶりに酒を飲むことになる方向へ話は自然に流れるのである。談志のように演じたら、兄は、弟の自分に対する敵意を和らげるために、いろんな思いはあるだろうがここは過ぎたことと水に流してと、自分の非を認めたことになってしまうのではないか。ともに、そんな酒が旨かろうはずはなく、そう、酒で晴らされるような恨みなら、そもそも大したものではなかったという話になってしまう。弟が泊まっていけと言われて泊まってしまうのは、やはり、兄とのふたりの時間が楽しかったからなのだ。
ふたりは酒に酔い、いい心持ちで寝ていると、火事を知らせる半鐘の音で、兄は目を覚ます。この半鐘の音も円生と談志では微妙に違う。前者は、それが遠くから聞こえかのように抑え気味にひとつ「ジャーン」と言うだけだが、後者は、張り気味に「ジャーン、ジャーン、ジャーン」と三つ鳴らす。これも断然、円生の方が的確であるように、わたしには思える。なぜか?
そう考える根拠は次回に。