「鼠穴」、ようやくおしまい2014.11.10
弟は娘を吉原に売って得た20両を懐に入れ、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、吉原の大門を出たところで、スリにその金をそっくり持っていかれる。ああ、もはやこれまでと弟は首を吊って …。なんともやりきれない話と思いきや、実は火事以降はすべて夢の中の出来事であったと種明かしされ、いうなればハッピーエンドで締めくくられる。
数日前、ユーチューブで同じ円生の「後家殺し」を見る。それはこんな話だ。ある男がいて、彼は3年前から女房公認で、亭主を亡くした女(後家)と不倫関係にある。親しい友人に問われるままに、どういう経緯でそうなったかを自慢げに話す。ひとしきり聞いた友人は、お前は知らないようだが、あの女にはおまえとは別の男がいるぜと話す。男はカッとなって家の包丁を持ち出し、女の家に行って彼女をメッタ刺しにして殺してしまう。ああ、これも夢オチかと思いきや、お上に捕まって打ち首の刑に処せられるということになってしまう。おまけに、女に男がいたというのは嘘だったのだから、二重に陰惨で救いがない。しかし、落語だから最後にサゲがあって、これが凄い。奉行が刑を申し渡したあと、最後に言い残すことはないかと聞くと、男は浄瑠璃の節をつけて、あとに残る妻子が可哀そうだと語る。彼は趣味で浄瑠璃をやっていて、殺した女も彼のその喉に惚れて自分の方からそういう関係を望んだのだった。因みに、タイトルの「後家殺し」は、浄瑠璃語りへの客の掛け声で、いいところへ来るとそう言うのだが、先に記したように男が浄瑠璃風に語ると、奉行が「後家殺し!」とひと声発し、これがサゲになるのだ。このクールさには誰もが少なからずショックを受けるはずだ。
夢は通常、抑圧された無意識の現われと考えられている。弟のそれは、言うまでもなく、兄への複雑な思いであろう。弟にとって兄は畏怖の対象である。兄は鬼のような男で、いつか自分は兄によって酷い目にあわされるのではないか、と。そんな思いが夢の中で具体化されたのだ。だから、夢の中身が陰惨であればあるほど、弟の兄への恐れがどれほど大きなものであったかが分かる仕掛けになっているのだ。
弟が二度目に兄のところに来たのが風の強い冬のある日で、三度目に来たのが春も間近のある日。この間に、使用人が次々といなくなり、店もどんどん縮小、女房も病をわずらって寝たきり状態と、たった数ヶ月の間にこれほどのことが起こるのは、明らかにリアリティを欠いているが、しかし、これは夢の中だからこそ可能な時間の圧縮で、だから、弟によってこのことが語られる時点で、作り手・語り手は「これは夢ですよ」と、さりげなくほのめかしてもいるのだ。
前半は弟の夢のような成功・出世物語で、後半は同じ弟の悪夢のような転落の物語という構成で、しかも、弟から夢の話を聞いた兄は、火事は燃え盛るから、栄える、つまり縁起がいい夢だと言い、そして、円生版では、多分これはこの話の原型なのだろう、夢は五臓が疲れていると見るものだというまくらのふりを受けて、そんな夢を見たのは「土蔵のつかれ」だと言って、これがサゲになっている。
こんな完璧に出来上がっている噺を名人・円生は完璧に演じている。これを実際に目の当たりにしているに違いない談志が、いったいどうすれば自分は円生等の先人達を乗り越えられるのかと考えて、出した結論が「芸ではなく自分の生き方を見せる、ノスタルジックな江戸という時代ではなく、現代を感じさせるのだ」というものだったのだろう。これは実にまっとうな考えだ。物売りの声を実際に聞いたこともない人間が、それらしく聞かせることにいったいどんな意味があるのか。だから、彼の物売りの声は、「時代の情報」として示されるだけなのだ。彼はそのようにして、落語自体を異化することで、瀕死の落語(と彼は思っていたはず)の延命を図ったのだ。彼の弟子や取り巻きたちは、こんな彼の苦闘をどれだけ分かっていたのだろう? しかし、哀しいことに(?)、落語は(新作はともかく)、江戸という時代と分かち難くつながっていて、だから、現代と江戸との間に横たわる齟齬を埋めるために、さほど明晰とも思えぬ理屈をこねくり回さなければならなくなってしまう。円生の凄いところは、物売りの声一発で、わたしたちを江戸(時代)にタイムスリップさせてしまうところで、それが即ち、現代の異化となるのだ。
落語の本流は落とし話だと思われるが、しかし、くすぐりを次々繰り出して笑いをとるのは、TVの「すべらない話」等があればもう十分で、第一、こっちの方が残念ながら、いかにも現代的でずっと面白い。
つい最近、TVで関西の若手による落語を二席見て、わたしは落語ファンでもなんでもないが、落語のこれからを考え、暗澹たる気持ちになった。ふたりの落語家の芸のなさに唖然とし、にもかかわらず、客たちが結構笑っていたことも不快に感じた。客が芸人をダメにする。落語はこれからどうなるのだろう? 志の輔ひとりの奮闘で持つのか? 鶴瓶の落語ってどうなんだろう?
最後に言わずもがなのことを書いてしまったが、今回で「鼠穴」は終わりです。やれやれ。五臓の疲れを癒さねば。