ひとは「そんなとき」なにをする? 自作「贋金つくりの日記」についての諸々2014.11.12
長い間行方不明になっていた雑誌「新劇臨時増刊号 無敵の劇作家五人集」が出てきたので、その中に収められている自作「贋金つくりの日記」を読む。発行は1985年。秘法8番館上演台本とあるから、この年に上演したのだろう。これを読むのはそれ以来だから、約30年ぶりの再会。因みに、五人集の他の四人は、岸田理生さん、北村想さん、鴻上尚史さん、山崎哲さん。奇しくも、北村さんとはこの間の伊丹アイホールの企画でご一緒し、鴻上さんは、近大・舞台芸術専攻の9月の卒業公演のパンフに彼のことを書いたから、雑誌の表紙に、わたしの名前と一緒にふたりの名前が並んでいるのを見ると、なにか「不思議なご縁」を感じるが、そんな話はともかく。
読んだら意外に面白いので驚いた。わたしの記憶の中では、雑誌の締切に追われ、公演の初日も迫ってる中で、もう破れかぶれで無理矢理でっち上げた作品ということになっていて、だから、長い間行方不明になってもいたのだ。
タイトルは、アンドレ・ジイドの小説「贋金つくり」の創作メモをまとめた書があり、それからの借用だが、内容的にはまったく関係なく、作品が書かれた年であったかその前年であったか。東京の葛飾区鹿浜の都営団地の一室で若い姉妹が餓死したという事件があり、それがこの戯曲のネタ元になっている。
登場人物は、男4人女4人。それぞれに1から4の番号が付されていて、女3人は「表の三人姉妹」、男3人は「裏の三人姉妹」と称されている。当然のように(?)、彼女らは互いを、オーリガ・マーシャ・イリーナと呼び合う。男4は姉妹の借金の取立て屋だ。女4は彼と路上で会って、自分の厳しい取立てが彼女たちを死に追いやったとひどく落ち込んでいる男4を励ます女。表・裏の三人姉妹は、廻り舞台で交互に登場して互いに交わることはなく、男女4のシーンはその間に挿入される。
1985年といえばまさにバブル真っ盛りで、猫も杓子も浮かれていたそんな時代に、飢えて死んだというのが衝撃的で、真っ当な作家ならば、繁栄の裏側に隠された時代の暗部についての考察を作品の核に据えるのだろうが、わたしが注目したのは、彼女たちは部屋の中で、飲まず食わずの状況下で、いったいなにを考え、具体的にはなにをして日々を過ごしていたのだろう、ということだった。
彼女たちは、窓や入口のドア等に目張りをして、明かりもつけず、もちろん部屋からは出ず、2ヶ月ほどをふたりだけで過ごしていた。もちろんそれは、取立て屋の攻撃から身を守るためであったはずだが、買い貯めていた食糧が底をつき、ガス・電気・水道等が料金未払いのために次々と止められていく中で、姉妹はなぜか、外に出て他に助けをもとめるよりも、このまま部屋の中にいてひっそり死ぬことを、いわば「緩慢な自殺」を覚悟し、選択したのだ。彼女たちが発見されたとき、すでにからだは腐乱し、蛆もわいていたらしいのは、取立て屋も隣近所の人たちも、ふたりはどこかへ夜逃げでもしたのだろうと思っていたからだ。彼女たちはその死以前に、この世から消えていた(消されていた?)のである。
まだ気力・体力が残っている間は、あれこれ口論もし、時には声をひそめて取っ組み合いの喧嘩をしたことだってあったかも知れないが、死につつあると自覚した時、彼女たちはなにを思い、なにを語り合ったのか。
この事件を劇化するにあたって、姉妹を三人に増やし、なおかつ裏まで作ったのは、劇団事情による。当時、劇団員は15、6人いたはずで、そのうちのせめて半分くらいは出演させないと、運営上いろいろ支障が出ると考えたからだ。劇団での上演を前提に書くということは、そういう制約を引き受けるということで、しかし、そのキツイと言えばキツイ制約が思わぬアイデアを生み出すこともある。表の三人姉妹が、いわば意識朦朧とした中で、チェーホフの「三人姉妹」の台詞を切れ切れに喋るという趣向も、制約があったからこそ思いついたことだ。
では、裏の三人はなにをしているのか、というのは、長くなったので次回に。