健さん以外に誰が出来よう! 「単騎、千里を走る」を見て。 2014.11.21
未見だった健さんの「単騎、千里を走る」を見て驚く。昨日、健さんも「永遠と一日」のブルーノ・ガンツみたいな役をやればと書いたが、この映画ですでにそんな役をやっていたのだ。分かってないな、わたしは。
健さんは、寒村で漁師をやっている。東京に息子がいるのだが、20年ほど音信不通。ある日、息子の嫁から、夫がいま入院しているから会いに来てやってほしい、これを機会にふたりのよりを戻してほしいと電話が来る。健さんは会いに行くのだが、息子は面会を拒絶。嫁は申し訳ないと謝り、そして、いま彼はこんなことをやっているのですと、一本のビデオテープを差し出す。見ると、そのテープは、中国の田舎の伝統的な仮面劇を撮ったもので、息子はそれを研究対象にしていて、この10年ほど毎年中国に行ってるらしい。最後のところで、演者のひとりが、来年は「単騎、千里を行く」をやるから、是非また来て撮ってほしい、と言っていた。そこで健さんは、病気でその約束を果たせない息子に代わって中国に出かけ、そこで様々なひとと出会い、云々かんぬん …というのが主な筋立て。というか、中国での云々かんぬんがメインだから、これではなにも書いていないに等しいのだが。前述した「子どもとの一日の旅」も当然、中国でのエピソードのひとつだ。ストーリーの詳細は他のウエブでご確認いただくとして。
健さんの映画はどれも、この役を健さん以外に誰が出来るだろうと思わせるものばかりだが、この映画はその中でも白眉だろう。健さん以外は全員、オーディションで選ばれたらしい現地の素人さんで、これだけでも大変な撮影だったことは想像できるが、物語自体がその大変さになお負荷をかけるべく、いろんな事情から頼みの正規の女性通訳がいなくなり(でも、彼女は頑張って健さんを助ける)、その代わりを買って出た善意の男が、実はほとんど日本語が出来ないという、つまり健さんは、右も左も分からない「砂漠か大海に投げ出された状態」に置かれる設定になっているのだ。
このことばが通じない状況の中で、健さんの「不器用」が力を発揮する。ことばを一語一語ゆっくり力強く発する。それで通じなければ、身振り手振りで伝えようとする。それは健さんの芝居の基本で(こんな芝居を多くのひとは不器用というのだが)、そうすると、ことばの意味は分からなくても、相手には「なにか」が伝わるのだ。それが芝居ではなく「本当のこと」として相手役に伝わっているらしいことが、画面を通してこちらに伝わってくる。まるで「作られたお話」ではなく、いままさに「生まれつつあるもの・こと」を撮った、ドキュメントみたいなのだ。
健さんが俳優になって初めて鏡前で顔にドーランを塗られて涙を流したというのは、有名なエピソードだが、もちろん、男が化粧をするなんてという屈辱を感じたのでもあろうが、それ以上に、俳優=演技=嘘をつくのが商売という、世間の常識に則った考えが健さんにもあり、それが嫌だったのではないか。だから、嘘をつかない演技とはどういうものかと考えた結果が、「不器用な芝居」になったのだ。でも、健さん=不器用というのは大嘘だ。健さんほど声を微妙に使い分ける俳優はそんなにいない。
井筒某という品性・頭脳ともに低レベルの映画監督(?)がワイドショーで、健さんがいかに不器用であったかの例として、知り合いの殺陣師が、健さんは棒切れを振り回すような殺陣しか出来ないとこぼしてた、みたいなことをいかにも得意げに語っていた。どこまでバカなんだ、この男は。リアルに考えれば、フツーのやくざが毎日剣道の稽古をしてたり、しょっちゅう刀を振り回してるはずはなく、そもそも「日本侠客伝シリーズ」など、やくざではなくカタギの話だ。刀を持った経験がない、少ない人間が、大勢の敵を相手にしたらどういうことになるかってことを考え、選択した結果が、ああいうアブナイ殺陣になったはず。現に、剣道何段という役柄のときは、それにふさわしい殺陣をやってるし。なにより、あの殺陣は、主人公が抱えてる怒りの表現になっていて、だから当時の観客たちから絶大な支持を得たわけでね。もちろん、みんな殺陣師との相談で出来上がってるはず。井筒は日本映画における殺陣の変遷の歴史はもちろん、現場のことさえ知らないようだ。もしも井筒の言ってる話が本当だとしたら、その殺陣師は井筒と同レベルの、無知・無恥な輩だろう。
健さんの死についていろんなひとがコメントを出している。これは今回に限ることではないのだが、その多くは、亡くなったひととそれほど親しかったと思えない人たちで、はっきり言って、マスコミが取材しやすいひとか、出たがり=お調子者に限られている。出してしかるべきひと、例えば、小林捻持は共演作品も多く、もっとも近くにいたはずの俳優だが、出てこない。倍賞千恵子も数は少ないが、マスコミ的には代表作とされている「幸福の黄色いハンカチ」の重要な共演者だが、彼女も出ない。そして、女優さんに限ればおそらくもっとも多く相手役をつとめているはずの、藤純子さんも!
死者への哀しみが深ければ深いほど、それをことばにすることは難しいのだ。そして、こういうところで、そのひとの「生き方」が見えてしまうから怖い。
「単騎、千里を走る」の監督は、泣かせ上手のチャン・イーモウ。健さんの中国行きにはいささか無理があり、息子の嫁を演じる寺島しのぶの定番的演技に鼻白んでしまうが(純子さまの娘とは思えない!)、まんまと泣かされてしまった。健さんは、この映画に関するインタヴューの中で、「素人のはずなのに、みんな凄い芝居をするんですよ。役者ってなんなんだって考えちゃいました。この歳になって恥ずかしいんですけど」と語っていたが、まさにその通り。でも、それを引き出したのはやっぱり健さんの力で、こんな奇跡みたいなこと、健さん以外に誰が出来よう。