土橋くんのOMS戯曲賞受賞はめでたいが …2014.12.17
土橋くんが今年度のOMS戯曲賞を受賞した。知人の受賞は自分の受賞より素直に喜べるから嬉しい。この一ヶ月ほどの間に、Mさん(60歳を超えた大物新人!)が劇作家協会新人賞で二次審査で落選、以前にこのブログでも紹介した卒業生の吉川さんもAAF戯曲賞で落選と、厳しい結果が続いたので、ことのほか喜ばしいのだが。しかし。
この間のオセロット企画の公演で久しぶりに会った鈴江くん(AAFの選考委員)に聞いたところ、最終審査に残っていなかったらしい。予想していたこととはいえ、腹立たしい限りだ。これも以前に書いたような気がするが。吉川さんの戯曲は、わたしがこれまで読んだことのない衝撃的な作品で、心あるひとが読めば、おそらくわたしと同様の反応を示すはず。一次の選考にあたった(心のない)ひとは多分、こんな戯曲は読んだことがない、意味が分からない、だから「問題外」と判断したのだろう。そこが間違っている。誰にだって趣味嗜好はあり、理解の範囲は限られている。自分のストライクゾーンから外れている作品にこそ注意が肝心で、理解が出来ないのは作品の問題ではなく、自分のアタマが悪いせいでは? となぜ謙虚に考えないのか。こういうイケ図々しいひと(達)を称して「心のないひと」と形容しているわけですが。ま、そういう風に考えられないことが、そもそもアタマが悪い証拠なわけだけれど。
一ヶ月ほど前、報知映画賞の結果が発表された。あの「舞妓はレディ」、各部門でノミネートはされたものの、受賞0。今年公開された日本映画でわたしが見たのは、「舞妓 …」だけだから、この結果について四の五の言うのはどうかと思わぬわけではないが、しかし、「舞妓 …」は、この十年ほどの間に公開された日本映画の中では、(むろん、これだって限られた数ではあるが)グンを抜く面白さで、受賞した作品・監督・俳優等々が、これ以上であったとは到底思えない。受賞した作品・監督・俳優等は、一様に深刻な「問題作」風。楽しい、面白いだけじゃダメなのか。
ああ、列島を寒波が覆っている。寒いよ~。