家族の奇跡(軌跡?) 「キューティー&ボクサー」を見る2015.01.27
大きすぎるボクシングのグローブを両手にはめた老人が、そのグローブに黒い絵具をたっぷりとつけ、壁に立てかけた横長の白いキャンバスめがけて力いっぱい、何度も何度もパンチを放つところから映画は始まる。これがこの老人・篠原有司男の代名詞ともなっている(?)ボクシングペインティングだ。確かに、残り少ない頭髪と裸になった上半身の肉のたるみ、そして時折見せるジャンプの低さが、80歳になるという彼の年齢を如実に物語ってはいるのだが、しかし、顔の肌艶はまるで上等の牛革のように美しく、なにより、絵が出来上がるまでの2,3分、ノンストップで動き回るエネルギーのほとばしりには、ほんとにこれで80?! と驚嘆してしまう。そんな彼をカメラにおさめる彼の妻・乃り子は、長い白髪をおさげにまとめた、これまた60になるとは思えない少女っぽさを残した魅力的な女性だ。
彼等夫婦に、後半にのみ顔を見せるひとり息子。この三人の日々の生活ぶりに、彼等自身が撮ったらしい昔のホームムービーと、妻が彼等夫婦をモデルにして描いた鳥獣戯画風の作品、さらにそれをアニメに作り変えたもの、それらを巧みに織り交ぜながら、ニューヨークで暮らしたふたりの40年間が妻の語りとともに綴られる。
家族三人、キャラクターがというより、被写体として素晴らしい。カメラが寄っても引いてもちゃんと画になるのだ。むろん、ちゃんと画に出来る監督の腕の冴えあってのことではあるのだが。映画の終わり近く、夫婦がこの映画について「なんだかラヴストーリーみたいになってたね」といささか不満げな感想を洩らす場面があり、それは、彼等としてはもう少しアーティストとしての主張を前面に押し出してほしかったがゆえの不満だったのだろう。しかし、この映画を撮った若い監督は、特異な夫婦(のありかた)ではなく、「夫婦・家・家族の不思議」という普遍性の方にピントを合わせたのだ。わたしには賢明な選択であったように思われる。
NHKのTV番組「ファミリーヒストリー」が面白い。先週はくるりの岸田繁の巻。「お腹の中の繁が四ヵ月半になった時、医師から掻爬を勧められたが、わたしは拒否した」と母親が語るのを聞き、ひとごとなのにウルッとくる。むろん、その時、母親が自らの生命の危機を回避するために医師の勧めを受け入れていたら、岸田はこの世に存在しえなかったのだ。この番組では、こんな、あのひとことがなければ、あと10分遅くそこに行っていれば彼・彼女はこの世には …といった奇跡と思える幸運・不幸がしばしば語られる。
わたしたちは誰も例外なく、奇跡と幸運の連続によっていまここに生かされているのだ。改めて書くまでもなく、両親の出会いがなければわたしはいないのだし、その両親もまた、彼らの両親の出会いがあってこの世に生を受けたのだ。これを奇跡と言わずしていったいなにを奇跡と呼べば …。
先の映画の奥さんと岸田の母親が、風貌といい声といい、姉妹かと思えるほどとてもよく似ている。ま、それがドーしたと言われても困るのですが。