「ひばりの歌はこぼれない、もたれない」 舟木一夫の卓見2015.09.11
当然といえば当然なのだが。分野はなんであれ、その道のトップで長く活躍してきたひとの言葉というものは深く重く、なるほどと頷かされることが多い。「ひばりさんの凄いのは、リズムのあとにこぼれない、もたれないところなんです。だから、歌自体が持っている暗さが5のところを3にしか感じさせない。歯切れがいいからです」と、BS朝日で放送された「美空ひばり 名曲物語」の中で語ったのは、舟木一夫だ。ホーと思った。わたしは音楽のことはよく分からないから、これはわたしなりの理解だが、要するに、どんなに哀しく重い内容の歌でも、ひばりは正確にリズムを刻んで、安易に情緒に流れない、流さない、ということだと思う。哀しいかな、舟木自身が歌った「哀愁出船」は、ひばりの足もとにも及ばない、カラオケ好きのおじさんがいい調子で歌ったようなものであったが。「分かる」ということと「出来る」ということの間には、千里の径庭があるのだ。
時に情緒に流れ、それが鼻につくというのが、「男たちの旅路」の鶴田浩二の芝居だ。攻勢に出ている時は、激しながらも過剰にならず、きわめて論理的に語ってみせるのだが、いったん守勢に回ると、第3部の3話「別離」のラスト近く、死につつある桃井かおりをかき抱きながらの「告白」など、雄雄しき父をかなぐり捨てて、いや、それは良しとしても、歌い上げるその台詞の調子の、あまりの節度のなさにいささか鼻白んでしまい、これを健さんがやっていたら …と思ったのだった。
先週土曜に放映された第4部1話「流氷」。桃井が亡くなって1年半後。鶴田は北海道の根室の場末の飲み屋で皿洗いをしている。鶴田が、勤めていた警備会社の社長(元戦友)に宛てた葉書を頼りに、水谷豊が社長命令で彼を探しに来る。知り合いになった土地の若者の協力を得て、水谷は鶴田をようやく探し出すのだが、初めて画面に登場した時の鶴田は、これがあの鶴田=吉岡司令補かと、水谷のみならず、われわれ視聴者もショックを受けるほどの変わりよう。さえない田舎のオヤジにしか見えない。さすが鶴田だとこのときは舌を巻いた。ふたりは鶴田の小汚いアパートへ。水谷は会社に戻って来てくれと言うが、鶴田は「(桃井のいない)東京になにがあるんだ」と酒をがぶ飲みし、「もうそれくらいで」と止める水谷を払いのけ暴れる。かっての凛々しい面影の欠片もないひどい乱れよう。それはそれで切ないのだが、というか、その不様さだけで十分なはずなのに、台詞を過剰に歌い上げて、それこそ「こぼれてこぼれて、もたれる」のだった。
用意していた「父(性)の行方」への道筋が見えず、書きあぐねている。「男たちの旅路」については、すべて見終ってからにした方がよさそうだ。