竹内銃一郎のキノG語録

ケン・ローチの新作と内田吐夢の「吉原百人斬り」2013.05.07

先週土曜、「ダービーへの試走完了!!」と実況アナウンサーを絶叫させた、わが愛馬キズナ。父・ディープを思わせる豪脚を見せて、直線最後方から全馬まとめてごぼう抜き。久しぶりに興奮しました。ま、馬券は外してしまいましたけど。そんなの小さい、小さい。
で、その余勢をかって、ケン・ローチ「天使の分け前」を見に銀座へ出かける。ああ、久しぶりの銀座だなあとぶらぶら歩いてたら、開演時間ぎりぎりに。急いで映画館受付に行ったら、満員で入れないという。え、ケン・ローチってそんなに人気があるの?!
その上映館(名前失念!)が、これで幕引きになることもあるかもしれないし、また、イギリスではローチ映画では異例の大入りだったらしいから、その評判を聞きつけて来たひともいるのかもしれない。それにしても、約200席が埋まるなんて。大阪では上映されてないマイナーな映画なのに ……
劣悪な環境に生まれ育ったせいであろう、ずっとアウトローと呼ぶしかないような日々を送ってきた30前後の男が主人公。彼が障害罪で起訴されその裁判から物語りは始まる。判決は、ひとことで言えば情状酌量で実刑を免れ、そのかわり、300時間の社会奉仕を命じられる。
彼には彼女がいて、その彼女が出産間近。これをきっかけにして真面目に生きようと思うけれど、障害をおわせた相手とは昔から顔を見れば殴りあうような犬猿の仲。こいつら(複数)に常につけ狙われているし、彼女の出産に立ち向かうべく病院に行けば、彼女の兄弟たちが「妹に近づくな」とボコボコにされる。
社会奉仕の責任者(?)が気のいいおじさん(「エリックを探して」でも好演してた太ったおじさん)で、あれこれ世話を焼いてくれる。
社会奉仕を一緒にやってる(やらされてる)仲間のうちの4人と近づきになる。きっかけは、責任者のおじさんがウイスキー愛好者で、その製造工場へ行こうということになり、それが彼らを近づけたのだ。
それからどうなるか。ネタバレを躊躇うわけではない。そんな複雑なストーリーでもないし。これ以上書くのが面倒臭くなったからやめる。
ローチ、80に近い年齢を感じさせない、例によって、初々しさを感じさせる楽しい映画。主役を演じた男が、演技経験のまったくないのも驚きだ。普通にうまい。主人公と同じような環境に育ったらしいのだが。
そういうことなんだ。俳優は氏素性なんですよ、結局。アタマの中身が透けて見えるのだ、とりわけ映画は。だから、普段なにも考えてない人間が、どんなに技術を磨こうとそんなもの、屁のつっぱりにもならない。ま、そういう手合いは、技術を磨こうという発想すら浮かばないのでしょうけれど。
しかし、先週もっとも感じ入ってしまった映画は、タイトルだけは知っていたが、見るのは初めての「妖刀物語 花の吉原百人斬り」。監督は名匠内田吐夢。50年くらい前に撮られた映画だ。
大和屋さんは、すべての映画は恐怖映画だ、というようなことを言っている。スクリーンに映写するためには暗闇が必要で、その暗闇が恐怖へと誘うのだ、と。
この映画は怖い。だから映画の中の映画ではないかとわたしは思ったのだ。
別にホラー映画じゃないんですよ。時代は吉原があった江戸。ひとりの真面目な男が主人公。彼は栃木の佐野で絹織物の生産・卸を手広くやっている店の主人。実は、彼は生まれて間もなく、親に捨てられ、その店の先代夫婦に拾われ、わが子同然に育てられたのだった。そして、彼らが亡くなったあと店を引き継ぎ、先代の時代よりも2倍3倍、店を大きくもしたらしい。彼がいまもっとも望んでいるのは、妻をめとり、跡取りを作ることだが、それがなかなか叶わない。なぜか。彼には生まれつき、顔の右側全面に大きな黒い痣があって、そのため、何度見合いをしても、相手の女が気味悪がって、うまくまとまらないのだ。
で、何度目かのお見合いをわざわざ江戸まで足を伸ばしてやってみたのだが、今回も不首尾に終わり、気晴らしに、とか、男と生まれたからには一度くらいはと、お見合いを段取りしてくれた江戸の取引先の旦那たちに誘われ、吉原に行く。しかし、ここでも花魁たちは彼に寄り付かない。しょうがないなと思ってると、何人目かの女がやってきて、これがなんとも優しくしてくれる。で、女にも甘いこと言われ、その店の悪賢い主人夫婦にもうまいこと言われて、彼はそれ以来せっせとその女のもとに通うようになり、結果巨額のお金をそこで吐き出すようになる。
わたしが怖いと思い、いや、怖すぎていったんテレビを消してしまったのは、ここらあたり。
なにが怖い? 主人公はそれまで女には触れたこともないような真面目な男で、なおかつ、店の使用人とも一緒に食事をとるような、ほんとに出来た人間なんですよ。それが、ちょっとしたはずみで、文字通り、坂道を転がるように、どんどん堕ちていって、その堕ちていく先には、タイトルからも想像出来るように、殺人が待ってるんです。その不条理感とでもいうのでしょうか、彼が可哀相で見てられないというか ……
昔から言われてるように、映画はシナリオなんですよ。ローチの映画もプロット・シナリオがうまく出来てたけど、これもそう。結果として悪女になって、最後に主人公に斬られる女にもそうせざるをえない事情があるように書かれてる。彼女は、おカミ非公認の売春をやっていて、それで捕まり、そういう制度になってたらしいんだけど、牢屋に入れられるかわりに、いわゆる郭に、一生奉公といって、預けられる。多分、給料なしでそこで働かされるんでしょう。そういう身分だから、花魁たちに蔑まれる。差別の対象になる女たちからも差別されると、こういう過酷な状況下に彼女はいるわけです。で、いつか自分も花魁になって彼女たちを見返してやる、そう思ってたところに主人公が現れたわけです。花魁になるには莫大なお金がいるわけですからな。
先に誤解されるようなことを書きました。花魁が差別の対象になってるわけじゃないんですよ。花魁はただ性を売り物にしてる売春婦ではなく、踊れて歌えて、鳴り物も出来て、なおかつ、お花・お茶、和歌の道にも通じていなくてはいけない。だから、誰にもなれるものじゃないのです。だから、性を売り物にするような場所で働いてる女は、普通は差別の対象になるでしょと、そういう意味です。
主人公を演じるのが、御大と呼ばれた片岡千恵蔵。背は低いのに顔はでかい。昔、子供心に、こんなおっさんがなんできれいな女にモテモテなんだと思ったものでしたが。でも、いい俳優さん。声がいい。遠山の金さんが当たり役で、彼の金さんの長台詞はなんともいい調子でしびれます。
彼を騙す花魁を演じるのが現・水谷八重子。このひともねえ、そんなにうまい女優さんではないけれど、大柄で、いかにも育ちが悪そうで、野心はぎらぎらって感じが滲み出てる。
話の内容とは関係なく、昔の映画はとにかくお金がかかってる。セットも豪華でひとも必要以上に大勢でるし。なんか豪勢な気分にさせてくれます。そこがいい。話自体はやりきれないものなんですが。
因みに、タイトルでは百人斬りとなってますが、別にそんなに斬るわけじゃありません。百というのはいっぱいという意味なんですね。

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