竹内銃一郎のキノG語録

訂正及び「吉原百人斬り」「みゆきさん」追記2013.05.09

修正とお詫び
①前回だか前々回だか、WOWOWでみゆきさんのコンサートを見たと書き、それは7年前のものだと書きましたが、5年前でした。すみません。
②2ヶ月ほど前ですか、西村昭五郎の「競輪上人」は傑作で、もう一本、「帰ってきた狼」も青春映画の傑作だと書き、印象深いワンシーンについて触れましたが、オオチガマイでした。
偶然にもというのか、幸か不幸かというのは、CSのチャンネルNECOでそれが放映され(一ヶ月前くらい?)、見たらかなり違ってた。ジュディ・オングの二の腕に蝶の形に切り抜いた紙を置いたのは、帰ってきた狼=山内賢ではなく、ジュディの幼馴染の蝶マニアのお坊ちゃんでした。山内賢も、ジュディの家の使用人の息子というのは真っ赤な嘘で、舞台になってる町(葉山・逗子あたり?)に久しぶりに帰ってきたムショ帰りでした。彼はハーフで子供の頃、イジメの対象になってて、それでぐれて、心ならずも札つきになって ……という設定でした。そんな男にお嬢さんのジュディが一目ぼれし、密かにジュディを恋していた蝶マニアがそれに絡んで ……というお話でした。詰まらない映画じゃないけど、激賞するほどでもなかったな、というのが再見の感想。スミマセン。
追記
①「吉原百人斬り」がなぜ怖いか。破滅への角度が、物語の半ばからどんどん急になるのです。で、なおかつ、主人公があたかもそうなることを望んでいる気配があって、それが怖いのです。
真面目な人生を送ってきた。でも、この先になにがあるのか? なにもないじゃないか。
こつこつと貯めてきた財産をとめどなく女に貢ぐ。一方、冷害で桑の葉が壊滅、ために、蚕が育たず、となれば絹織物の生産は叶わないという思わぬ苦難がふりかかる。最後の金策のために江戸へ行くが思い叶わず、吉原に行くと、女の花魁道中に出くわす。そこで耳にした店の主人たちの男への蔑みの言葉。いわく、「あの化け物に女が惚れるわけがない。ハ、ハ、ハ ……」
町人である主人公が刀を持っていたのにはわけがある。彼が捨てられたとき、一緒に刀と手紙があって、それには、もしもこの子のことでお金が入用になった時には、この刀を売って ……と書いてあり、ということは、これはよほどの名刀だと、売ってお金をと思ったところが、確かにこれは名刀だが、この刀を所有すると必ず祟りがあるといわれている名刀で、だから誰も買ってくれない、と。幾重にも不幸と絶望が重なる仕掛け。話がうまく出来てます。脚本は、溝口健二と名コンビを組んだ依田義賢。ですから、まあ、確かに主人の言葉を聞いたのが直接の引き金となって<百人斬り>になるわけですが、それは持っていた名刀=妖刀がもたらした祟りだと言えなくもないわけです。
彼には明日がないというか、明日に夢なんか描けない。いまわたしたちがかろうじて生きていられるのは、簡単にいえば、明日いいことがあるかもしれないというかすかな幻想をもってるからでしょ。でも、そんな幻想を持つことが出来なくなったら、それこそ、大澤真幸言うところの現実逃避、つまり現実へ逃避(現実からの逃避でなく)するしかないわけで、彼の酷薄な現実とは、「あの女を殺して自分も死ぬ」以外にないわけです。このご時勢、なんとも身につまされる話じゃありませんか。
②改めて「みゆきさんのコンサート」を見直す。終始背筋が伸びてる、その立ち姿の美しさに感動。それに挑発的な歌詞があいまって、保坂和志の、新刊「考える練習」での左翼的言動には正直驚いたが、みゆきさんもやっぱり左翼だったと、更に感動してしまったのだった。

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