竹内銃一郎のキノG語録

人生の転び方  「刺さった男」を絶賛する2015.09.26

わたしがこうむった不条理などとは比べ物にならない悲惨に見舞われた「刺さった男」ついて語ろう。

ある朝のこと。知的で優しくてとびきり美人の奥さんに見送られ、求職に出かける。向かった先は大手広告代理店。推定45歳の彼は業界では名を知られた男。長らくフリーで活躍していたが、ここにきてとんと仕事がなく、恥を忍んで(?)、旧知の友人が重役として働くその会社に仕事を貰いに行ったのだが、散々待たされた挙句、屈辱的な応対をされて、彼の望みは叶えられない。

このままでは家に帰れない。傷心を癒すべく、妻と新婚旅行で泊まったホテルに向かう。あの頃が彼の絶頂期だったのだ。しかし。その思い出のホテルが見当たらない。尋ねてみると、あのホテルは取り壊されて、そこは博物館になっているという。ひとが群がっている。誘われるように近づいてみると、博物館開館を間近に控え、今日はマスコミへのお披露目の日であるらしい。入館する取材陣に巻き込まれるようにして、彼も博物館の中に。

長い階段をのぼり、女性館長の説明を聞きながら、エスカレーターでさらに上へ上へ。市長の挨拶が始まったところで、彼はそっとひとの輪から離れて、脇の細い通路入って行く。ホテルの名残を求めたのだろうか? しかしそこは、当然のように関係者以外は立ち入り禁止だ。警備員に見つかる。彼は逃げる。「止まれ! 危ないぞ!」という警備員の声に立ち止まった瞬間、ぐらっと体が揺らいで、背後にあった古代のものと思しき白い彫刻に触れ、すると、それがいきなり上方に持ち上がるので、彼は慌ててそれに縋りつく。それはクレーンで吊り上げられており、彼の上体がもたれかかった途端に、スイッチが入って作動したのだ。警備員は必死に彼を助けようとするが、互いの手は届かない。力尽きた彼は落下。10~20メートルはあっただろうか。警備員が上から、大丈夫かと声をかけると、彼は「大丈夫だが、からだが動かない …」と応える。そこは工事半ばの場所で、警備員が急いで駆け寄ってみると、彼の後頭部に細い鉄骨が刺さっている!

「刺された男」なら判るが、「刺さった男」とは? なんとも奇妙なタイトルにひかれて見たこの映画を撮ったのは、スペインのアレックス・デ・ラ・イグレシアス。上映時間は100分ほどだが、ここまでが20分。いずれにせよ「刺さって」動けない男は「動ける男」になるのであろうが、それにしても残り80分は長すぎるのではないか、というわたしの懸念と疑念は、サスペンスに次ぐサスペンスによって見事に払拭され、なおかつ、思いもよらぬ結末を迎えることになるのだが、その詳細は触れずにおく。

「刺さった男」という設定は、フツーに考えれば、ちょっとした才人が10分くらいのコントにまとめて、どんなもんだいと得意そうにほくそ笑む程度のネタだ。それが!

男の背後に古代のコロシアムが広がっている、という空間設定が素晴らしく、それがコントを超えて「映画」にしている最大の理由だろう。主人公は動けないから、必然的に、彼の周りを他の登場人物たちがあたふたと右往左往するのだが、その登場人物たちの造形がこれまた見事。彼の家族、警備員、市長、館長、医師、取材陣、この「事件」をニュースで知って彼の応援に駆けつける、多くの<善良な市民>=野次馬、そして朝方、彼をケンモホロロに追い返したかっての同僚たち、等々。まるでチェーホフ劇のように、そのひとりひとりに光を当てて、彼らが抱える事情や思惑を浮き彫りにし、さらには、それらの光の照り返しが交錯して乱反射する。みな独自に動いているように見えて、しかし、そこには確固としたディシプリン(=規律・統制)があり、先日の日本vs南アのラグビーを思わせる美しさ・力強さだ。コロシアムの客席に陣取った、野次馬たちの掲げる「励ましの横断幕」が笑わせる。

主人公の妻を演じる女優さんが素晴らしい。先にも書いたように、きれいで知的で優しい、いうなれば完璧な妻・女性を見事に演じている。当初は、この女には裏がある。きっと彼女の悪だくみによって、男は「刺さって」しまうのだろうと思っていたが、これが愚劣な下司の勘繰りというヤツで。ラストシーン。息子・娘を引き連れて立ち去っていく彼女のカッコよさは最上級のもの。

失礼しました。

 

 

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