竹内銃一郎のキノG語録

あまりに残念すぎる出来事のひとつふたつ2015.09.28

こんなことがあっていいのだろうか。昨日の競馬である。阪神12Rで3連単と馬単とワイドと全部的中させ、久方ぶりの大勝利!! と思いきや。

馬券は電話投票で買っている。それ用の銀行口座があって、全レース終了後、残高が幾らになったか、電話で確認してみると、その大勝利分が入金されてないようなのだ。なにかの間違いではないかと、今日、契約しているりそな銀行に行って通帳記入をしてみると、やっぱり入金されてない。改めてもう一度、JRAに確認してみると、そのレースを買っていないことになっていた。信じられないが、記録に残っていないのだからしょうがない。昨日は、競馬中継と巨人・ヤクルト戦を交互に見ていたから、もう馬券を買ったつもりで、野球中継の方にTVのチャンネルを変えていたのだろう。終盤のチャンスに凡打する坂本や長野に「このバカタレがっ!」と罵声を浴びせていたのだが、バカタレはわたしの方だったのだ。哀しい。哀しすぎる。

今日は夏が戻ったかのような暑さ。りそな銀行は近くにないので、四条烏丸まで出かけたのだが、少し歩いただけで汗が出た。

夏の暑さといえば。落語に「唐茄子屋政談」という噺がある。一か月ほど前だったか、TVで円生のそれを見て、またまた感心してしまったのだが、ずいぶん昔に、志ん朝のそれをやはりTVで見たのを思い出し、ユーチューブで、彼のものと、ついでに父親の志ん生のものもあわせて見る。

「唐茄子屋政談」はこんな話だ。主人公は、遊びがすぎて親から勘当された、大店の息子。お天道さまと米の飯はついて回ると、啖呵をきって家を飛び出したものの、当然のことながら世の中そんなに甘くはない。食い詰めて、橋から飛び降りようとしたところを、親戚の叔父さんが通りかかって救われる。翌日。朝早く叩き起こされた彼は、叔父さんに、唐茄子(=かぼちゃ)を売りに行くよう命じられる。そして、思いもよらぬ他人の親切や、悲惨な境遇に置かれた家族に遭遇し …

当然のことながら、ストーリーは同じだが話の細部は三者三様で微妙に違う。改めて、志ん朝のうまさに舌をまく。例えばこんなところに。

主人公の若旦那は、生まれてこの方、力仕事なんぞしたことがない。唐茄子が入った籠を天秤でかついで出かけるのだが、足元がおぼつかない。少し歩いたところで、軒から出ていた看板に頭をぶつけてしまうのだが、ここの志ん朝の描写が細かい。季節は夏。炎天下で暑いからと、叔父さんが笠を貸すところまでは三者同じで、看板に頭をぶつけるのも同じだが、志ん朝は、ぶつかった拍子に頭の笠が片方に傾き、でもそれを直す余裕がないので、直射日光を浴びた片方からは滝のような汗が …と語って、夏の過酷な暑さを表現してみせるのである。

健さんや、ひばりや渥美清や笠智衆の訃報を知った時にも相当のショックを受けたが、志ん朝のそれがわたしにとって最大のものだったのは、他のひとに比べ、彼の死はあまりに早すぎるように思ったからだ。享年63歳である。加齢すると、持ち前の小気味よさがどう変わるのか変わらないのか、そこを見たかったのだが …

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