竹内銃一郎のキノG語録

「悲劇喜劇」今月号掲載原稿 2013.06.11

この不均衡!
岩松了「月光のつつしみ」に触れながら
安定的なるものは非運動的である。運動的なるものは、不均衡から生まれる ……。
水が流れるためには高低差が必要だ。会話も同様である。ことばを交わしあう者たちの間に、そのことに関する知識・情報の差が必要だ。むろん、水が高いところから低いところへ流れるように、会話もまた知識・情報の所有量の多いほうから少ない方へと流れる。即ち、前者が後者の優位に立ち、その場のイニシアチブを取ることになる。時に、声が大きい、腕力が強い、無内容だけれど言葉数の多い者が、その場を支配することもあるが、いずれにせよ、日常、舞台上を問わず、多い・強いものがその場の主役と考えられよう。が、この劇では、驚くべきことにそんな〈当たり前〉がひっくり返されている。
登場人物は6人だが、ワンシーンしか登場しない田中を除いて台詞の多い順に並べると、弟、姉、宮口(姉弟の幼馴染)、若葉(弟の妻)、牧子(宮口の婚約者)となろう。劇が始まって間もないト書きに「このドラマはこの弟とやがて登場する姉の物語」とあり、この台詞量の多寡がそれを裏書しているかに見えるが、実はそうではなくて、舞台上にいながらほとんど黙して語らぬ牧子の一挙手一投足が、舞台・物語(の行方)を支配しているのだ。この文字通りの主客転倒は、冒頭のト書きと台詞ですでに明らかにされている。

湯気につつまれるように部屋の中央で、トランプ手品をしている男(宮口)と、そ の相手をしている女(牧子)。ふたりはあたかもこの家の夫と妻のようにみえるが ……
宮口 もう一度、やってみようか。
牧子 うん。
宮口 何度でもできるよ。(以下、二行の台詞)
牧子 ホントだ。
宮口 不思議でしょ?
牧子 なんで?
宮口 なんでって、そりゃ手品だからさ。
牧子 え? わかんない。なんで?
いかにもぞんざいな「うん」という返事も、連発される「なんで?」と同様、相手の次なる言動を催促しているのは明らかである。この自らは語らずして他に言動を要求する不遜さは、登場人物が増すごとにさらに増長され、あろうことか、「わたしずっと喋らずにいたんだから、これくらいしたっていいでしょ」と言わんばかりに、ついにはこの他人の家の台所にあった包丁で自らの手首を切ることになる。むろん、この帳尻あわせは度が過ぎている。更に。舞台となるこの家のバス・トイレにはドアがないのだという。部屋(リビング?)が湯気につつまれているのは弟が入浴中だからだが、家の中ではもっとも秘すべき場所、他人の視線を遮ることによって安らぎを得られるはずの寛ぎの場所が、常時オープンになっているのだ。この転倒! そして、この欠損を補い覆い隠すように溢れかえる、小道具の過剰さはどうだ。トランプ、セブンブリッジの結果を示す紙切れに始まって、壁にハンガで吊るしてある姉のワンピース、扇風機、牧子のコンパクト等々。むろん、それらはただ単にこの家の日常の構成物件の立場を超えて過剰に自己主張し、結果、登場人物たちはそれらに自らの言動を拘束され、振り回されることになる。ここにも主客の転倒が見られる。更に。秘すべき場所のドアの欠損と対になるような空間が用意されている。その部屋の三分の一くらいは、カーテンで仕切られているというのだ。その閉じられた場所は、一ヶ月ほど前から居候をしている姉のためのものになっていて、ベッドまであり、当然、カーテンだから開け閉めされ、その度に、見られたくないもの・見てはいけないものが露にされる。即ち、ドアの欠損を実際に観客が目にすることが出来ないという〈欠損〉を補う、これは過剰な帳尻あわせになっているのだ。
一方で。この劇は三場よりなり、序破急という古典的な構成法に則っている。そして、それぞれの場はいずれも、終わったところから始まる。即ち、一場は宮口のトランプ手品が終わったところから、二場は夕食が終わったところから、三場は手首を切った牧子を病院に運んだあとから。そう、転倒と過剰を繰り返すこの物語は、それらを裏切る、こんなつつましい容れものに納められているのだ。この不均衡!

大学の「戯曲研究」で、岩松さんの「月光のつつしみ」を取り上げることにし、その講義原稿をまとめていたところ、「悲劇喜劇」から、岩松さんについて何か、という原稿依頼が。飛んで火に入る夏の虫か? と講義原稿をもとに書こうとしたのだが、依頼原稿の文字数は2千字で、一方、講義用原稿は7千字。肝心なところを端折ってしまった感あり。ま、でも ……
送ってきた「岩松了 特集号」を見たら、予想していた通り、わたしが岩松さんと初めて言葉を交わしたのは ……みたいな、まるで結婚式の友人のスピーチみたいな、アレだけはやめたいとわたしが思ってた内容の原稿がほとんど。
なんだろう、その手の内々感覚。TVのバレィテイはみんな、そんな内々関係、その場に集まった者達同士の近しさを、視聴者に見せ付けることだけで成り立っているけど。
他人の距離感を保ちましょうよ。岩松作品のこれ、基本でしょ。

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