竹内銃一郎のキノG語録

ありがた~いお言葉2015.10.19

ひょっとして今、「篠田桃紅」がブームになっているのだろうか? 10日ほど前だったか、お昼のワイドショーで彼女が取り上げられていて、先週の金曜だったか土曜だったか、NHKでも彼女を追ったドキュメンタリーが放映されていた。これは去年放映されたものの再放送だったらしいのだが。映画監督の篠田正浩のいとこに、篠田桃紅という書道家がいて、彼の「心中天の網島」に桃紅の書が使われていることは知っていたが、それ以外のことは何も知らなかった。

彼女は現在103歳になるらしいのだが、いまなお現役で、それも燃えカスのようになってもなお執念を燃やして創作を続けている、というような悲愴感はなく、まさにバリバリの現役なのだ。テレビの画面を通して見るかぎり、目も耳も確かで、さすがに家の中を歩く時は、手すりや壁に頼ってはいるが、絵を描く時は(いまは墨で絵を描いている)、当然のことながら、かくしゃくとして、大胆に筆を運んでいる。マジかと思うような大作も発表している。

驚くべきは、いまも美人であることで。古い写真から、生まれついてのとびきりの美人であることは分かるが、往々にして、そういうひとほど、年齢を重ねるとともに正視に堪えない崩れ方をするものだ。しかし、桃紅は。頻用される表現であるが、実に凛とした美しさを保っているのだ。それだけでも十分敬意に値するのだが、語る言葉のひとつひとつが、まさに至言のオンパレードであることにさらに驚く。

曰く。「墨(筆だったかも?)はいい気になるなとわたしを諫めてくれるの。でも、絶望にはさせないのね」「わたしは地に足をつけるような生き方をしてこなかったの。結婚もしなかったし、子どもを持つこともなかったし。だから、わたしが描くものは現実じゃないの。ふわふわとしていて。でも、絵は現実なのね。ほら、そこにちゃんとあるでしょ」「どうしてひとは、孤独がどうこうなんて深刻そうに言いたがるのかしら。だって、みんなひとりで生まれて、ひとりで死んでいくわけでしょ。ひとも動物も植物も、生きてるものはみんな孤独なのよ。そんなの当たり前のことなのに。結局、真実に向かい合うのが怖いから、逃げているのね」「わたしは飽きっぽいから、作風がどんどん変わるの。縛られるのが嫌なのね。だから、文字を書くのをやめて、絵を描くようになったの。川って字は、どうしたって3本の線を書かなきゃいけないでしょ。そういうことが嫌になったわけ」

今月の11日で、わたしも68になった。ひぇー。少し手を伸ばせばすぐに70で、足を伸ばせば80で、ジャンプをすれば100にも届く年齢だが、しかし。改めて言うまでもなく、とても桃紅の境地には至れそうにない。

このところ毎日、「ランドルト環」を書くためにチェーホフを読み返している。いまさらなのだが、このひとのユーモアは時に、ブラックを超えて悪魔の哄笑になる。例えば、「手帖」にこんなことを書きつけている。

死人に恥辱はない。だがひどい悪臭を放つ。

 

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