竹内銃一郎のキノG語録

忘れられた人々ー山口と広島ふたつの事件2013.07.26

二週間ほど前になるのか、広島の山中で16歳の少女が殺されて遺棄された事件がマスコミを賑わせ、それから一週間ほどして、今度は山口県の過疎の村で、63歳の男が村人5人を殺して逃亡。さっきネットのニュースを見たら、隠れていた山中で逮捕されたらしい。
一方の事件は、被害者・加害者がともに若年であり、もう一方はともに老齢なので、そのことだけを取り出せば対極にあるのだが、おそらく誰もが感じていると思うけれど、ふたつの事件はとても似ている。
16歳の少女が被害者になった事件は、不思議なことに、被害者・加害者の親たち=大人の影すら感じられず、一方、63歳の男が加害者となった事件の集落の構成メンバーには若者どころか、50歳台すらいない。
両者は対をなしている。一方は一方の鏡像なのだ。
ともに、極端に閉じられた世界。一方はネットのラインで繋がれた、わたしなどから見たら、淡いというほかない関係で、一方は、ひとがいないという理由であろう、携帯が繋がらない、フェイス・ツー・フェイスでやりとりをするしかない、過度に密な関係を強いられている。
一方は、ラインという虚構の世界であるがゆえの、面と向かって一対一だったら決して口にするはずのない暴言が殺人を引き起こし、一方は、多数派に与しないと生きてはいけない、都会の孤独とは違う他者の過度な干渉と逃げ場のなさが、殺人の引き金を引かせたのだ。
16歳・事件の加害者の中には、その事件当日に初めて顔をあわせた者もいるという。明らかに、関係のパースペクティブが狂っている。
16歳の子供達は事実上、親に捨てられており、63歳の男が住んでいた集落の人々は、子供達に捨てられている。容疑者の男が都会から村に舞い戻ってきたのは、親の面倒を見るためだった、というのがなんとも皮肉である。
とりあえずの仕事をすべて終わらせ、この一週間ほどテレビ三昧の生活。画面では、とりわけバラィティと呼ばれている番組は、どれも、出演者たちの仲の良さを見せ付けるのがテーマになっている。
Aがなにか言うと、即座にBがツッコミと呼ばれる茶々を入れ、Cがそれになにかを上乗せして、みんなが笑う、みたいな。
その丁々発止は、言うまでもなく繊細な神経を必要とされる、誰もが出来るものではない高度なものだが、視聴者の多くがそこから感じるものは、「ああ、仲良しがいていいなあ。あんなやりとりが出来る仲間がいたらいいなあ」というものであるはずだ。
都会であれ、過疎の村であれ、どこにいても孤立感にさいなまれずにいられない現在。こんな酷薄な社会がこれまであったろうか。いまだにネット社会万歳みたいなことを得々として語る輩の神経が分からない。
ネットの存在がさらに孤立感を深めているのに。
はたして、いま演劇がなしえることとは?
一ヶ月ほど夏休みをとるので、このブログも、しばらくお休みです。
これはいつも研究室にあるPCで、時間の空いたときに書いていて、私有のPCはネットに繋いでないのです。
熱中症にご注意を。
では。

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