竹内銃一郎のキノG語録

この夏に見た映画②+読んだ本2013.09.05

この夏、ざっと100本ばかり映画を見た。秀作3本では納まらないので、追加3本。
「王朝の陰謀」
長い副題がついてるが、覚えられない。中国・香港合作映画。監督はかのツイ・ハーク。 中国4千年の歴史の底力をこれでもかとばかり見せつけられる。
則天武后が皇帝にならんとしている。それを記念して(?)66丈の高さを誇る彼女を模した巨像が作られている。イタリア(だったかな?)から偉いひとたちが来て、中国の役人がその巨像の中を案内している。と、役人の体がいきなり燃え出す。な、なによ、これ?!という驚きのシーンから映画は始まる。
亡国の市と呼ばれる地下帝国があり、当時の最先端の科学技術が紹介され、火炎虫という恐ろしい昆虫が物語のキーになったり、更にもちろん、派手なアクションシーン数知れず。そして最後にあっと驚くどんでん返し。ストーリーの詳細を省くのは面倒くさいからで、ま、フツーに血湧き肉踊る傑作娯楽映画です。
「オレンジと太陽」
監督はジム・ローチ。この名前からも分かるようにケン・ローチの息子で、これがデヴュー作(多分)。
ものすごくマジメな映画。ほんの3,40年前までイギリスから孤児たちをオーストラリアに送っていたという、実際の<事件>をもとにしている。
ひどい話。いたいけな子供達はオーストラリアに送られ、理不尽かつ過酷な労働をしいられ、おまけに、彼らの受け入れ先の教会で神父たちに日ごと夜ごとレイプされていたという…
主人公は、福祉事務所で働く中年の女性。ひょうんなことからこの事実を知り、極秘にされていたこの事実を明らかにするために、そして、オーストラリアに在住する、大人になった今でも子供の頃の傷を癒せない人々のケアのために、献身的に動く、働く。両国政府の厚い壁が立ちはだかり、教会関係者からであろう圧力・暴力を受けるがひるまない。しかし、毎日のように傷ついた彼・彼女達の話を聞いているうちに、そのあまりの内容を受け止められなくなり、彼女は大きな精神的ダメージを受けてしまう…
父・ケンの映画にあるようなユーモアに欠けるが、心地よい緊張感が途切れることがない秀作。俳優も皆さんお上手で。少年時に心に傷を負い、主人公の聞き取り調査にもまともに対応しなかった男が、次第に心を開いていく、その開かれていく過程が見事に演じられている。俳優の名は知りませんが。
「アメリカの友人」監督ヴィム・ヴェンダース
例の如く、これまで2度ほど見てるはずだが、ほとんど記憶がない。アメリカの友人役を演じていたのは、怪優デニス・ホッパーであることは知っていたが、主人公の額縁職人があのブルーノ・ガンツだったとは!
デニスはマフィア世界にも通じているらしい正体の知れぬ男。彼は老画家に有名画家の贋作を描かせていて、それをオークションに出して金儲けしている。そのオークションでブルーノと出会う。共通の知人が、ふたりを引き合わせるが、ブルーノは「噂に聞いてる」とデニスにそっけない態度をとる(ここがミソ)。
ブルーノは血液の病で余命いくばくもないらしい。
ある日、デニスはブルーノの店を訪れ、額縁製作を依頼する。ブルーノは彼に心を開いたのか、子供のおもちゃをデニスにプレゼントする。
デニスはマフィアの男に、殺さなきゃいけない男がいるが、誰か適当な殺し屋を推薦してほしいと言われる。プロの殺し屋だとアシがつきやすいから素人がいいと言われ、ブルーノのことを思い出す。そして…
この頃のヴィムは冴えてました。70~80年代。どれも面白い。ブルーノには妻子がいて、妻はあるとき、夫の行動に不信を抱き、いったいわたしに隠れてなにをしてるのかと詰問する。ここいらのくだりが、あの「夜叉」の一場面とそっくり。話の先行きに終始ワクワクさせられる。
この映画をベースに戯曲を書く予定ですが、これはここだけの話。
この夏に読んだ本ベスト3
荒川洋治「詩とことば」(岩波現代文庫)
このひとの本はいくつも読んでいる。近刊の、書評をまとめたものも平行して読んでいて、これも面白かったがタイトル失念。おお!
詩の被災について書いていたのはどっちの本だったか。<詩の被災>とは、東北地震の際に書かれた詩(も含む多くの文章)にあらわになってるさもしさ(死体に群がるハイエナのような)を見ると、詩・ことばもまた今度の地震で被災したように思われる、というまことに得心がいく辛らつきわまりない文章。
この人の本に挙げられている作家の名前の半分以上をわたしは知らない。驚くべき読書量! なんだろう、このひとの偏執。
佐伯啓思「貨幣と欲望」(ちくま学芸文庫)
副題がついていて、「資本主義の精神分析」(多分…?)
読んだときにはなるほどなるほどと思っていたが、一ヶ月経った今、ほとんど忘れてる。馬鹿ですね。
でもちゃんと覚えてることはひとつだけあって、ケインズが書いているらしいのだが、資本主義(金儲け=貨幣収集)のその先には、「退屈」しかないということ。このくだりを読んで、もの凄く納得した。いまの世にはびこる作品の大半のテーマは、ジャンルを問わず、結局のところ、コレではないか、と。退屈から生まれたものでしかないのではないか、と。芝居を作る? なぜ? 退屈だから。違うのでしょうか?
「あまちゃん」「半沢直樹」が面白い? 結局暇つぶし(退屈しのぎ)には最適ってことでしょ? だから、例えば、先に挙げた「太陽とオレンジ」みたいなキツイ映画は、大半のひとにはお呼びじゃない、という …
映画「桐島、部活やめたってよ」は、最近の日本映画の中では例外的な秀作でしたが、これなど典型的な「退屈」を物語の核にした映画だ。みんなの中心にいてみんなのなんとなく心の拠り所だった桐島が突然、部活をやめると、みんなは毎日をどう過ごしていいか分からなくなって、結果、日々の退屈が浮かびあがる、という…
深沢七郎「みちのくの人形たち」(中公文庫)
散歩がてら、久しぶりにブック・オフに行って購入。目当ては藤圭子のCDだったのだけれど。
これまた久しぶりの深沢七郎。先に挙げた荒川洋治の本にこの作家のことが書いてあったのを思い出し、手にとったのだ。相変わらずのとぼけた節回し。作家自身を模した老人のところへ見知らぬ男が訪ねてきて、なんとかって花(その名失念、もう!)の話をする。百人一種でもうたわれている花だが、いまは珍しい種になっているその花がわたしの家に咲くから、その季節になったらわたしの家に、と。主人公は、その男の礼儀正しさに感服し、もちろん、その花を見たいこともあって、しばらくして東北地方のその男の家を訪れると …というお話。つげ義春のマンガみたいだが、それはつげがこの作家の影響下にあるからだ。
その男の家に、近所のひとが屏風を借りに来るあたりから、妖しい空気が漂い始める。誰にも理解可能な易しい単語で書かれているが、読み進むに従って、まるで暗いトンネルの中に置き去りにされたような不安に包まれる。
これを読んだあと、一緒に買った、これは高橋源一郎が近刊で(これもタイトル失念!)大絶賛している綿矢りさの「インストール」「蹴りたい背中」を読んだが、やっぱりおこちゃまランチなのだった。
高橋源一郎、いつも最初は面白そうなのに頁を進めるに従って退屈になる。いつも、「若いひと、凄い」という結論になるのが。

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