竹内銃一郎のキノG語録

大きな力に抗して  今年の回顧②2015.12.31

わたしが勇気づけられた「小」なる芝居とは、前々回に触れた、殿井歩の「(仮)ユートピアだより」だ。若いひとにとって、煩わしく、目障りで、抑圧的な存在であるように振る舞うことこそ、年長者たるものの務めであるとわたしは思っているし、ましてや、殿井さんのようにキャリアがないに等しいひとの作品を、このように持ち上げることはもっとも慎むべき振舞いだとも思っている。がしかし。見てからすでに数日経ったいまもなお、わたしの動揺が収まらない事実というがあって …。いったいあれはなんだったのか。

これまで見た、記憶に残る幾つかの芝居を思い起こしてみた。「ユートピア~」同様の、<驚くべき始まり>ですぐに思い浮かんだのは、VAN99ホールで見たつかこうへいの「飛龍伝」と、東京乾電池の「お茶と説教」である。前者は、平田満演じる「父」が寝ていた蒲団を畳んでいるという、あまりに非・劇的な始まりに唖然とし、後者は、幕が上がると、白衣を着た柄本明の長広舌がすでに佳境に入っていて、まるで辻斬りにあったようなその始まりに呆然としたのだった。しかし。いかに唐突感を伴っていたとはいえ、後者は下りていた幕が上がり、幕のない前者では、暗い舞台を照明が照らしだすという、ともに、誰もが了解可能な劇の始まりを告げる合図があったのだが、「ユートピア~」にはそれがなかった。

幕はなく、舞台と客席の閾がない空間を、乏しすぎる照明機材が一様にぼんやりと照らし出していて、それは劇の始まる前から、劇中、そして終わりまで変わらない。客が飲んだり食ったりお喋りをしている中で、いきなり、まるで遅れてきた客のような男女ふたりが、ぼそぼそと立ち話を始めるのだ。当然のことながら、俳優も観客も、そして、カウンターの中のお兄さんも受付のお姉さんも、同じ明かりに照らされていて、そこには一切の分け隔てがない。かって高らかに「特権的肉体論」を唱えた唐さんが、この芝居を見たらなんと言うだろう?

ぼんやりした明かりは終始変わらないと書いたが、劇中二度、唐突に暗くなり、そして明るくなる。唐突さを感じさせたのは、おそらく照明の明かりを操作する機材がないからだと思われる。これが、苦し紛れの窮余の一策だったのか、あえて意図したものなのかは知らないが、俗に<劇的>と呼ばれるもの、情緒的なるものを断ち切って、絶妙の、いわゆる異化効果となっている。暗い中で流れる、高田渡の「生活の柄」は、ことさらに切なく、また曲自体が持つ滑稽さもまた格別の感があり。

前回触れた際に、<生々しい>という語を使ってこの芝居を評したが、いささか正確さを欠いている。生々しい舞台というと、思い出すのは、劇団ACMの「さんしょう太夫」と三浦大輔の「うしなわれたとき」だ。その詳細を書き出すと長くなるのでここでは触れずにおくが、ともに、現実以上のリアリティで見るものに肉迫し、わたしのような気弱な観客は思わず目をそむけてしまいそうな、禁忌に触れることもいとわないような、そういう種類の舞台だった。しかし「ユートピア~」は明らかにその対極にあって、いうなれば、身体(性)を喪失してしまった身体(性)とでも形容したらいいのか。その先には、先日NHKで放映された「新映像の世紀」で見た、アウシュビッツに収容された人々の骨に皮が張りついているだけの身体がある、と言ってしまうと、いくらなんでもではあるけれど。しかし。俳優たちの、ため息のような声とふらつく立ち姿に、大なるモノたちによって徹底的に管理され収奪し尽くされる今日の小なるものたちの典型を見、それがゆえに、リアリティ=生々しさを感じたのだった。むろん、これも演出家があえて選んだ表現法だったのかどうか、それは皆目分からないのだが。演劇だけでなく、この世の優れた事象のおそらくすべては、偶然と必然との幸運な出会いの産物であり、この作品もそういうものだったかと思われる。

長くなりすぎたが、ついでに、いまもわたしの記憶に残る舞台ベスト10を列記しておこう。先に挙げた4本と、⑤状況劇場「風の又三郎」 ⑥SCOT「リア王」初演 ⑦岩松了プロデュース「アイスクリームマン」初演 ⑧旧真空艦「眠っちゃいけない子守歌」 ⑨ずいぶん昔の高校演劇全国大会で見た、福岡の定時制高校の「必要なもの」 ⑩ピナ・バウシュ「船と共に」(順不同)

舞台作品は、小説や映画や絵画と違って、現れたそばからかき消える儚いものだ。この事実を否定できないことにおいては、大も小もない。しかし。ピナの作品を除けば、いずれも素人=高校生によって演じられたか、小劇場と呼ばれる劇場もしくはテントで上演されたものである<小>なるものであることは、単なる偶然でも<わたしの趣味>でもないはずだ。改めて確認しておこう、演劇とは「小よく大を制す」ものだ、と。

まだ書きたいことは多々ありますが、本年はこれにておしまい。来年も懲りずにおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

 

 

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