竹内銃一郎のキノG語録

無条件降伏? SMAP騒動に思うこと2016.01.20

この度のSMAP騒動は、大山鳴動して鼠一匹さえ見当たらない、まことに惨めな結果に終わりそうだ。分裂にならずよかったという大手メディアの報道に反して、労基法違反ではないか、ほとんどブラック企業ではないか等々、ネット上ではJ事務所への様々な批判が飛び交っているが、わたくし的には、J事務所のやくざ的体質、及び、そんなやくざ企業に恥ずかしげもなくご機嫌とりをする、大手メディアのポチ的体質が露わになったのは結構なことだ、と思っている。しかし。

いま読み進めている加藤典洋の『戦後入門』はきわめて刺激的で、まあ、わたしが無知なためでもあるのだが、これまで知らずにいた、驚くべき事実が次々と明らかにされている。もっとも驚いたのは、1946年6月に発表された米国戦力爆撃調査団の報告書によると、その前年の10月から12月にかけて行われた調査で、「原爆投下に対し米国に憎悪を感じる」かという問いに対し、「感じる」と答えた回答は、日本全体で12%、広島・長崎でも19%だったというもの。なんという低さ!

さらに。広島の平和公園に設置された原爆死没者慰霊碑に刻まれた、あの有名な一言「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に対して、東京裁判で判事をつとめ、この裁判自体に異議を唱えたことで知られるパール氏の、「これはおかしい、(原爆を)落としたものの手はまだ清められていない」という批判に、この碑文の作成者は、「これは全人類の過去、現在、未来に通じる広島市民の良心の叫びである。原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じないことばだ」と反批判したという。

加藤はこの論理構成を、終戦直後には「主張すべきは堂々と主張しよう」と、占領軍の横暴ぶりや米国の原爆投下への疑義を伝えていた朝日新聞が、GHQによる発行停止処分を受けたあとには、「外圧によって変えられるのではなく、厳正な自己批判によって、自ら変わるのだ」という論調にすりかえ、米国=占領軍批判を手控えるようになったのと同じものだと断じ、この章を次のような言葉で締めくくっている。

原爆慰霊碑の論理に消えているのは、あるいは隠されているのは、「けっしてうらまない」という言葉の陰に隠れた「米国を批判できない」という無力感、あるいは「米国を批判すべきだ」という抵抗の意思の放棄なのです。

今日のスポーツ報知の一面に、居心地悪そうなキムタクを中心に、どこか不機嫌そうな4人が並んだ写真と、自分たちの番組内で語ったらしいメンバー個々の<謝罪の言葉>が紹介されている。そこで語られているのは、お騒がせして申し訳ない、みなさんにご心配をおかけして申し訳ない、というものだが、そんな言葉が本当に必要だったのかという点において、前述した慰霊碑の文言にとても似ている。更にはこんな、明らかに不当・理不尽かつ無様なケジメを彼らに強いた、J事務所及びTV局を「批判できない無力感」を露わにし、「批判すべきだ」という抵抗の意思を放棄した点においても。

 

 

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