竹内銃一郎のキノG語録

告知各種です。2016.03.05

おそらく生来のせっかち癖のためだろう、<予定>が近々に迫って来ると、必要以上に焦ってしまう。あと十日ばかりでMODEの公演初日。気がつけば、ずいぶん先だと思っていたA級Mの、公演まではまだ四カ月ばかりあるが、稽古inまで二カ月を切っている! ウ~~(サイレンの音?)

告知① MODE公演「あなたに会ったことがある・4」

原作 A・チェーホフ 台本 竹内銃一郎  演出 松本修

3月16日(水)~21日(月) 於 上野ストアハウス

その内容は …。チェーホフの数多ある短編小説から選んだ7本を軸に、その上演に向けて稽古をしている某劇団稽古場での出来事の場面が3つ、計10場から成り、チェーホフ原作7本のうち、4本は馬鹿々々しいというほかないコントのようなもので、2本はメロドラマ=不倫もの、残りの1本は、「ワーニカ」という、可哀そうな子どものお話。笑いあり涙ありのバラエティに富んだ構成になっていますが、「非情」と「捨てられた子ども(たち)」という、<チェーホフ的テーマ>がすべての作品を繋いでいます。

開演時間等の詳細は、お手数ですが、ネットで検索して下さい。以下は、当日配布されるパンフに寄せたわたしの原稿。

よく見かける批評にこんなものがある。「○○によって、チェーホフ(の世界)が現代に甦った。」というような。笑っちゃいますな。長い長い人類の歴史を考えれば、チェーホフが生きた時代と現代の間の100年余など、瞬きの間ですらないのだから、「甦った」と称賛し驚いて見せるのは、リモコンを押したら「TVが映った!」と歓声をあげることに等しいのではないか、と。この<言わずもがな>を明らかにするために、遥か彼方からネアンデルタール人を招聘することにした。彼の視点から見れば、チェーホフの時代も現代もさほどの変わりもなかろう、というわけである。

チェーホフの作品に<まともな大人>が登場するのは稀である。大人たちの多くは、親たることの責任を放棄し、父性や母性をかなぐり捨てて、自らの欲望のおもむくままに、恋愛や趣味に耽っている。これを悲観的にとらえれば、子ども達が放置され、忘れられた世界ということになり、楽観的にとらえれば、大人のいない子どもたちだけのネバーランドが描かれているということになる。チェーホフの規定に従えば、後者(喜劇)を選ぶのがスジだろうが、欲張りな(かつ、根性のねじ曲がった)わたしは、今回、ふたつの子どもの視点から世界を描くことにした。即ち、左目でこの世界が悲劇的なものであることを確認し、右目ではこの世界に起こるすべてのことを滑稽な喜劇として見る、という風に。チェーホフの描いた世界も、実はこのようなものではなかったろうか。

告知② ついでに。以下に、前述したA級Mの7月公演「或いは魂の止まり木」のチラシに寄せたわたしの原稿も。

3年ぶりの演出だ、腕が鳴る。

土橋くんと細見くんに初めて会ったのは、大学の教室だった。ぼくらはクラスメートだったのだ。嘘です。彼らの劇団の稽古場が、わたしの住まいの近くにあると聞いて、ちょっと稽古を見せてくれる? というところからわたしたちの関係は始まったのだった。これは本当。あれから十余年。まさかこんなことになろうとは! わたしの戯曲は、A級M・土橋演出でこれまで二度、30年ほど前に書いた「悲惨な戦争」が2012年3月、書き下ろしの「Moon guitar」が14年10月に上演されている。ともに上々の出来栄えで、作家として、彼らにはとても感謝している。「魂の止まり木 ~」の初演を見ている。これも記憶に残る快作だったが、なんとか前作を上回るものをと、倍返しのための秘策を練っている。わたしは義理堅いのだ。これは嘘です。

告知③ 「あたま山心中 改訂版」をお読みになりたい方は、<リクエスト>を経由してご連絡下さい。遠慮なく。

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