竹内銃一郎のキノG語録

懐かしい卒業生たちとの再会の夜2013.11.05

3日夜、梅田。10年前に卒業した諸君の同窓会に参加。関西圏外在住者も多く、集まっても10名ほどだろうと思っていたら、東京から、佐賀から、岐阜から、福井から、徳島から等々、20余名参加。卒業生の半分近くだ。というか、幹事を引き受けた諸君の仕事が細かく、中退者にも案内を出したらしくて、そんな人々も集まったのだ。そのことにまず感激した。
わたしには大学時代の友人がひとりもいない。ま、ほとんど学校に行ってなかったせいもあるのですが。
当然のように、そんな、同窓会の案内なぞくるはずもなく。ま、案内されても行きませんが。だって、誰も知らんし。
この学年は、わたしが教師になった最初の学生、つまり、一緒に入学した学生たちなので、他の学生たちに比べて特別の思い入れがあり、いまでも時々、会ったりメールを取り交わす者も何人かいる。
参加者の半分くらいは卒業以来、10年ぶりの再会。女の子たちに比べて、男の子たちはずいぶん変わった。多分、18,9の男の子はほとんど子供で、だから、10年の歳月を経て、歳相応の顔つき体つきになったのだろう。
みんなの近況を聞くと、男女を問わず、ちゃんと仕事をしていて、ちゃんと家庭を持っていて、もちろん、未婚者もいたけれど、みんなちゃんと生きてる。そのことにも感激した。みんな偉いなあと。
赴任した年の夏休み。前期の最後の授業で、「いま東京で芝居の稽古をしてるから、興味のあるひとは見に来てもいい。泊まるとこがなければウチに泊まってもいい」といったら、2,3人で3組ほど、時期をずらしてやってきた。
なんでみんな一緒に来なかったかというと、3人くらいしか泊められないとわたしが言ったからだ。
その素直さ、そして遠路はるばる、結果10人近くがやってきたその感じ、なんだか「二十四の瞳」みたいだと、その時思った。
「二十四の瞳」。壺井栄の原作を木下恵介が映画化。小豆島の小さな小学校に高峰秀子演ずる若い教師が赴任する。新任で勝手が分からない上に、子供たちがちっとも言うことを聞かない。苦闘の日々だ。ある日、心労が重なったための病気だか、怪我だかのため学校を休む。と、彼女の住む家に、山をひとつ越えて子供たちがお見舞いにくる。この日以来、教師と子供たちの距離は一気に縮まる。
数年後、戦争が始まって、男の子たちは志願して戦争に出かける。戦争が終わって数年後。教師が定年で退職することになり、教え子たちが先生を招いて同窓会を開くことになる。
懐かしい、涙涙の再会。教え子たちの幾人かは戦争で亡くなっている。目が見えなくなったものもいる。教師の息子も戦死している。そんなこんなが明らかにされて、観客はみな滂沱の涙を、と、こういう映画。
反発したくなるところ多々ある映画ですが、ま、見れば泣いちゃうんです、わたしみたいなヒネクレ者でも。
この夜もまた「二十四の瞳」を想起する。もちろん、誰も戦争など体験してないけれど、生きていくことが大変なのはどんな時代だって変わりない。
「生きてるだけでマル儲け」という、さんま大先生の名言がことのほか身にしみたことでした。
話変わって。でも少しだけ前の話と関係がある。
映画「コンフィデンスマン ある詐欺師の男」。なんとも投げやりなタイトルだが、うまく出来てる。とりわけシナリオが素晴らしい。物語の隅々にまで神経が行き届いている。見事な職人仕事。
かって腕利きの詐欺師だった男が、25年ぶりにシャバに出てきたところから物語は始まる。
詐欺ったって、彼が手がけていたのは大掛かりなもので、相手は大体ヤバイ筋。彼がなぜ25年間もムショ暮らしをしていたのかというと、ヤバイ筋相手の詐欺が途中で発覚し、そのヤバイ筋の親玉に、「お前の選択肢はふたつ。お前の目の前にいるお前の相棒を殺すか、俺に殺されるかだ」と言われ、相棒を殺したからだ。
25年は長い。親しい友人、愛人、みんな死んでるか、どこかに消えてしまったか。
殺した相棒の息子が会いたいと言って来る。男は息子の父親を殺した経緯を話す。息子は一応の理解を示し、そして父を殺した償いとして、いま自分が計画している大掛かりな詐欺を手伝ってほしいという。そして …
このふたりに若い女がからんでナンダカンダ思わぬ展開になるのですが、これ以上は書かない。
詐欺師の映画なのに、実際に詐欺が始まるのは90数分の映画が60分ほど過ぎたあたりから。この按配に興味を惹かれた。タイトルに反してこれは「詐欺師の映画」ではないのです。
じゃ、なに? それもここでは明らかにしない方がよいと思います。因みに、原題は「サマリア人」。
傑作ではないけれど、いわゆる佳品。とわたしは思ったのだけれど、さっきネットで評判・感想を確認したら、これがみな意外なほどの低評価。
こういう人々、いったいどんな映画を良しとするのか。分かりませんネエ。

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