竹内銃一郎のキノG語録

皆さん、ありがとう  ドラボ解散のご報告2013.12.19

あるいは、いきなり?!と思われる方もいるでしょうが、DRYBONESを、本年をもって解散致します。 解散は、ずいぶん以前から考えていました。わたしはペシミストで、なにか新しいことを始めようと思うのと同時に、これはいつまで続くのか、終わりはいつ来るのか、どのタイミングでどのように終わらせたらいいのか、と考える癖があるのです。間もなく定年で退職する現在の職場に来た時もそうでした。 オリンピックの開催が4年に一度なのはどういうわけだか知りませんが、いつの頃からか、わたしは4年を一区切りとするようになりました。なにかを始めて、4年経ったら続けるかどうかを考える。 ドラボの発足は2008年ですから、そう、発足4年目になる去年から継続すべきかどうかを考えていたのです。 そもそも、はじめは教師が主導するちょっと風変わりな学生劇団という位置づけでした。なので、入ってくる学生たちには、3年生の夏の公演を最後に引退するのが原則、それまでは授業よりなにより劇団の活動を優先してほしい、と言い渡したりもしました。この大原則が、緩やかに崩れていった、というのも解散決定の大きな理由のひとつです。 当初は想定していなかった、卒業後も劇団に残るひとが出てきました。もちろん、これはありがたいことでしたが、一方で、学生・社会人、それにわたしの混合となると、稽古時間や公演期間の設定がきわめて難しくなりました。当初はほぼ毎日稽古をしていたのですが、卒業生たちは、そんなことをしていては日々の暮らしがままならないし、一方、学生たちからは、いろんな先生のいろんな授業を受けたい、という希望が出てきて …。 そのようにして、毎日稽古の原則も崩れていったわけです。 むろん、それらを非難しているわけではありません。致し方ない事情だと思います。でも、上記の原則が守られなければ、巷に溢れるクズのような自称「劇団」となんら変わるところがないわけで、あえて高飛車な言い方をすれば、そんなところで芝居を続けることに、わたしは積極的な意義を見出せないと、こういうわけなのです。 前述したように、入ってくる学生たちには幾つかの約束をさせましたが、わたしの方もひとりは苦しいけど、劇団員がふたり残っていれば定年まで劇団はやめないと、彼らに約束をしていました。要するに、このタイミングで約束の期限も来たわけです。 劇団員からは、解散公演は?という声もありましたが、「その後」を設定しえない公演に意味などないだろう、と答えました。そんな打ち上げ花火みたいな公演、意味ないでしょ。すみません、無愛想で。 よく4年も続いたな、というのが正直な気持ちです。劇団員、スタッフとして公演に関わってくれた人たちには感謝しています。十数年前に一緒に芝居を作った、保、武田さん、原さん、そして、いまは職場の同僚になっている水沼さんと、また芝居を作ることが出来たのも、ドラボという場があったお陰です。 そして、お客としてわれわれの公演のために劇場に足を運んでくださった方々、毎度毎度悪口雑言を並べたてているこのわたしのブログに飽きもせずお付き合い下さった変わり者の皆様、本当にありがとうございました。 今後のことですが。 劇団員たちには、解散の話をした際、続ける者がいればサポートを惜しまないと伝えたのですが、今のところその意志を受け取ってはいません。 わたしももちろん、これで演劇の活動を停止するつもりはありませんが、もう劇団活動はドラボで腹いっぱい。要するにフリーになるわけですが、どこからもオファーがなければそれまで、ということですね。 わたしは退屈ということを知らない男で、そうなったらそうなったでやりたいことは山ほどあり、手元にありながら見てない読んでないDVDや本は山ほどありますし、そう、週末には競馬があって、集中すれば競馬で生活費を稼ぐことも夢じゃないと、まあ、夢のようなことも考えているわけです。 今日これから、残務整理のための話し合いがあります。ホームページやブログはどうするのか、わずかながら劇団に残っているお金をどうするか等々、まあ、考えればいろいろあるんですねえ。 それから関係者の方々も交えての納会、と。 最後に、今年亡くなった打撃の神様、川上哲治の胸をつくような名言を。 やっぱり10連覇して、お辞めになりたかったんじゃないですか、というインタヴィユアの質問に答えて、 曰く、「花道というものは、負けて渡るものですよ。勝って渡りたいと思うのは、虫がよすぎます」 もう一度。これまでご支援下さった方々、本当にありがとうございました。

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