夢で会いましょう。 稽古二日、とりあえず順風満帆2016.05.11
稽古はまだ二日が終わっただけだが、まずは順調な滑り出し。今週一週間は黙って見ていますと宣言したのだが、稽古時間の半分くらいは、やっぱりわたしが喋ってる。でもまだ、このシーンはどういう角度からアプローチしたらいいのかという、考え方のヒントだけで、具体的なことはあまり話していない。ま、時々、しゃしゃり出て、ここはこんな風に、なんてことをやってしまっていますが。
一日の過ごし方が変わってしまったことに戸惑っている。稽古は夜なので、夕方に家を出て夜遅く帰る、まるでホステスさんみたいな日々。何十年ぶりかに定期券を買った。いつ以来だろう? 何十年ぶりということはないか。東京で稽古をしていた時は、稽古場まで電車で通勤していたはずだから …。
今朝の明け方見た夢の中に、加藤が出てきた。20代後半、わたしが池袋の映画館で働いていた時のバイト仲間だ。彼はまだ立教の学生で。なぜ加藤が夢の中に? 考えられる理由はふたつ。二日前に「できんボーイ完全版1・2」を読み終えたのだが、彼も「できんボーイ」の大ファンで当時、ふたりでよく話題にし、時々、笑ったコマの再現をしていたのだ。バカですねえ。理由2。ダービーが間近に迫っているから。彼はPOG(ペーパー・オーナー・ゲーム)の最初のメンバーのひとりだったのだ。あれから40年? もっと?!
そう言えば、数日前の夢に、山口も出てきた。山口はPOGの二期メンバー。彼と初めて会ったのは、芝居のオーディション。さいたま芸術劇場のこけら落とし作品の一本として企画された、小津安二郎の「お早よう」をもとにした芝居の、高校生・大学生限定のオーディションに応募してきたのだ。早稲田の学生で芝居は未経験だったが、面接時の「ひとりで競馬新聞を作って、それを場外馬券場で無料で配ってます」という自己紹介が、200人ほどいた応募者の中では群を抜いて面白く、それで採ったのだった。彼はその後、競馬新聞社に就職して、大穴記者として一般週刊誌に紹介されたり、コクーン戯曲賞に初めての戯曲を応募して最終候補の残るという快挙をなしたり、劇団を立ち上げてかなり面白い芝居を作っていたりしていたのだが …。今はどこでなにをしているのか。唐突にわたしらのPOGを抜け、音信不通になってもう20年くらいには …?
ただいま稽古中の「~魂~」は、いまはもう離れ離れになってしまった人々が、この物語の語り手でもある<妹>の妄想の中に甦るというお話で、上記の懐かしいふたりがわたしの夢の中に現れたのは、あるいは、それが故なのかもしれない。
片道小一時間かかる往復の電車の中で、サミー・デイヴィス・Jの「ハリウッドをカバンにつめて」(ハヤカワ文庫)を読んでいる。30年ほど前に買って、最初の数頁を読んだきりそのままになっていた。まだ50頁ほどしか読んでないが、名言続出。以下はその中のひとつで、語ったのはジョン・フォード。あなたが作る西部劇にはどのくらいの事実がとりいられているのかという質問に、ちょっと考えてから
事実と伝説のどちらかを選べといわれたときにはいつも伝説をとった。