長野が死んだ2014.05.07
6日、水沼夫妻、我が家に来訪。奥さんにホームページの作成をお願いしていて、内容をどうするか、水沼氏経由の電話やメールでは、わたしは用語等まったく理解出来てないので、申し訳ないけど直接お話を、ということにしたのだ。
これまでわたしが書いた戯曲のリストを載せることにし、どうせ作るなら詳細なものをと考え、単行本には入ってないけど雑誌には掲載された、何本かの戯曲の掲載号をネットで調べていたら、思わぬ情報が目に入る。
昔、秘法に所属していた長野がなんと、大学の先生になってて本も出しているというのだ。
長野隆之。札幌の高校の演劇部出身。全国大会にも出たと言っていた。はっきりと覚えていないが、高校卒業後、大学にはいるために上京。しかし、演劇を諦めきれず秘法に入団。俳優兼演出助手として、『バラバラ「百頭女」殺人事件 迷宮』に参加も、多分この公演のあと、大学に行きたいということで退団。いや、この次の結局これが解散公演となった「ひまわり」にはスタッフとして参加していたかもしれない。
そうだ、「百頭女」の次回作を、当初は「忍者の娘」というタイトルの作品を予定していて、その宣伝のために「忍者通信」という新聞(?)を何度か発行し、彼はその編集長だったはずだから …
やめた後、他の劇団員から「大学の同級生達から、おっさんと呼ばれているらしい」という話を耳にしたことはあったが。彼は老け顔で、しかも大学入学時には25、6歳になっていたはずだから、そりゃ言われるわなとみんなで笑ったりしていた。
あれから20数年を経て、まさか大学の先生になっているとは! 頑張ったんだな、エライぞ、長野!
近況を知りたいと思い、長野隆之で検索し直してみたら、なんと、彼の訃報が載っていた。
一昨年の12月に亡くなったらしい。
そんなバカな! ドラマでもあるまいし。
これも奇遇というのか、藤井先生という、わたしが3月まで勤務していた近大文芸学部・文化歴史学科の先生と一緒に、何年か前に学会で発表をしたことがあるらしいことも判明。
藤井先生とは、学部の就職対策委員として一緒に仕事をしたこともあった。先の事実を知っていれば、長野のこと、あれこれ聞けたのに …
長野は自分の公的な経歴に「秘法零番館に所属し …」などと書いていて、だから「秘法…」の検索にひっかかったのだ。
民俗学研究者のキャリアにはなんの関係もないのに、書きますかね、フツーそんなこと。
それが嬉しくまた切なくて …
わたしの辞書には「反省」とか「後悔」なんてことばは載っていないのだけれど、こんなあんまりな事実を突きつけられると …
卒論のタイトルは、『語られる民謡ー歌の「場」の民俗学』。単行本のタイトルは、「民謡の場をめぐる民俗学的研究』。
宮澤賢治の研究もしていたらしい。ご教授願いたかったが、もういない。
去るものは追わずという<わたしの生き方>がうらめしい。
胸ふさがるる思いとはこのことだ。