竹内銃一郎のキノG語録

「薬禍の歳月 ~サリドマイド事件・50年」を見る。 映画の不思議な旅①2016.10.05

このところ連日のように悪夢に苛まれていた。追いかけられる、逃げる、隠れる、見つかる、また逃げる、といったような。それが今朝はすっきり。何故かと考えて、とりあえずの結論を得る。運動不足のため、ベッドに入ってもなかなか寝られず、眠っても眠りが浅くて、それが明け方の悪夢を呼び寄せたのではないか、と。昨日は結構な距離を歩いたのだ。それで …。運動不足になったのは、来る日も来る日も家に引きこもって、朝昼晩とTVで映画を見ていたからだ。TVの見過ぎも視神経への過剰な刺激となって、悪夢の遠因になっているのかもしれない。

と、思いつつ、朝からTV。録画しておいた「ザ・ベストテレビ2016 第二部」を見る。これは去年、民放・NHKで放映されたドキュメンタリー番組の中から、優れた3作品を選んでそれを再放映するという企画。タイトルにある「薬禍の歳月~」はその中の一本で、母親が妊娠中にサリドマイド剤を服用したため、障害児として生まれた人々の50年後の現在を描いたもの。取り上げられている4人の中のひとり、松戸に住む女性の両腕は、肩のあたりから少し伸びているといった短さで、しかも、指の数も5本に満たないので、例えば、衣類を畳むのも足でなすのだが、その足指の繊細な動きに感動させられる。山口に住む女性は、スカートで隠されているが足がなく、部屋の中をスルスルと華麗に、こういう形容は不謹慎なのかも知れないが、掃除機のルンバみたいに移動する。彼女の両手両腕も松戸の女性と同様なのだが、その不自由な手で見事な絵を描き、それで生計をたてているようだ。北海道の牧畜農家で働いている男性は、プロレスラーのようないかつい容貌と下半身の持ち主だが、彼も両腕がなく、スコップを顎で挟んで牛の糞をかき出している。詳細はYouTube等で見られるようだから、それをご覧いただくとして。そういった彼らのからだ(の動き)にも、これまであまり感じたことのないほどの大きな驚きと感動を覚えたのだが、彼らが語る言葉と、それを語る表情の豊かさに、さらに深く驚き、感動させられたのだった。それはおそらく、社会・世界からの拒絶によって生まれた、いつ終わるとも知れない、孤独な時間によって育まれたものだろう。確かに、ひとは他者との交流によって多くの事柄を学習するのだが、真なる言葉とそして思考は、深い内省によって紡がれるのだ。北海道の男性が放った「(自分のこれまでの人生は)地獄だったよ」という言葉(の響き)と、いかにも愉快そうな、混じりけのない笑顔が忘れられない。

この作品の優れているところは、彼らの周辺にいるはずのひとたちを登場させないところだ。(唯一、高岡に住む女性が、製薬会社に就職が決まった息子と語り合うという例外はあるが)松戸の女性は結婚していて、一度だけ(だったはず)ちらりと夫たる男性は画面内に映りこむのだが、彼が語る場面はなく、また、北海道の男性の登場場面でも、ともに働く男性(経営者?)がいるのだが、彼にマイクが差し出されることはない。わたしのように俗な人間なら、彼女の夫には「なぜこういう女性と結婚したのか?」とか、男性と一緒に働く経営者にも「彼の仕事ぶりはどうなのか?」とか、あれこれ聞いてしまうはずだが、作り手はそういう他者の、おそらく彼らに対する賛美に終始するであろう、<ありがちな言葉>を採用しない。このことが、この作品の気品を担保している。

更にもうひとつ、驚かされたことがある。それは、この作品のBGMに、アンゲロプロスの「永遠と一日」のサントラが使われていたことだ。なぜそんなに驚いたのかと言うと。そもそも今日のブログには、かの名優ブルーノ・ガンツを軸に、最近TVで見た何本かの映画について書こうと思っていたからで。そう、ガンツは、「永遠と一日」の主役を演じているのである。な、なんという偶然!

 

 

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