竹内銃一郎のキノG語録

「大鴉」追記  2016.10.17

ネットで「大鴉」の評判を見ると、当然のことながら賞賛の声が多い。しかし、それらの声の中の少なからずが、不条理だのアングラだのシュールだのといった、これまでわたし及びわたしの作品を評する際に使われてきた、<旧式な>言葉を抱えていて、それが残念というかなんというか。ハッキリ申し上げますが、わたしにとって、「不条理」とはナンセンスの同義語であってそれ以外ではなく、「アングラ」は、ただ小さい劇場で、もしくは劇場とも呼べない場所でやってきた、という事実以外を指すものではなく。ただ「シュール」だけは、「遠くのものが出会う」という、詩人・西脇順三郎のシュルレアリズムの定義を、今も昔も創作の金科玉条にしてはいるのですが。出来れば、その種の先入観(=色眼鏡)を持たずに(かけずに)見ていただきたいな、と。そんなことしてたら、見えるものも見えなくなりマッセ。それはそれとして。驚いたのは、このブログの前回分になんと70を超える「いいね」が寄せられていること。わたしにとっては、大谷が叩き出した165キロの速球以上の驚き。そんなに多数の方々に読んでいただいたとは! わたしのようなへそ曲がり爺でも、褒められたらうれしいわけで。ありがたやありがたや。今後とも変わらぬ御贔屓を。

前回、書き落としたことを少し。小野寺さんの「大鴉」を見ている間ずっと、これに似たものを自分は見ているはずだがと思っていたのでしたが、それが分からず。伏見の家に帰り、本棚を見てやっと思い出したのでした。それは、一昨年のこのブログにも書いた、高野文子の「ドミトリーともさんず」! 自在で軽やかでフェミニンな空気感、そして単純に見えて緻密に考え抜かれた線の交錯。まったく同じです。更に、初対面であるはずの藤田さんもどこかで会ったことがと思っていたら、この本の巻末にある「Tさん(東京在住)は、この夏、盆踊りが、おどりたい。」に出て来るTさんにそっくり! そう言えば、劇中に盆踊りを想起させるような音楽も流れていましたな(フフフ)。それから、こんなきれいな照明は誰が担当しているのかと思ったら、なんと吉本さん! 彼女とは以前に二度(多分)一緒に仕事をしているのだ。ずいぶん腕をあげましたなあ。エライエライ。

最後にもうひとつ。小野寺版「大鴉」は、小林さんがひとりでチェスをするところから始まるのですが、これまた奇しくも、「映画の不思議な旅」というタイトルで取り上げるつもりだった、何本かの映画の中の一本、「リスボンに誘われて」が、やっぱり、熟年の男が、暗い室内でひとりチェスをしているところから始まるのだった。と、次回の予告をして …

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