「ペーパーボーイ」は底なし沼に足をとられて2014.07.28
久しぶりに乗り物に乗る。四条河原町に出て、ジュンク堂で芝山幹郎の『今日も元気だ映画を見よう』(角川ssc新書)と、河野哲也の『境界の現象学』(筑摩選書)を買い、それから、花見小路を抜けたところにある場外馬券場へ。
惨敗。クーッ!
『今日も~』は、著者がいろんな媒体の求めに応じて書いた短い映画評を365本集めたもの。著者の好きな映画ベスト365が収められているわけではない。だから、肩の力を抜いて気楽に読める。
1本を600字程度で紹介している。高級そうな知識をひけらかすわけでもなく、かといって<分かりやすさ>に堕することもなく、対象映画のキモを的確に指摘し、なおかつ自らの好みもハッきりと書き添える。
著者の名人芸とも言うべき腕の冴えには恐れ入ってしまう。
365本のうち、わたしは何本見てるか数えてみたら150本ほどだった。
採りあげている映画の6割くらいはこの10年ほどの間に公開されたアメリカ映画だが、この半分以上をわたしは見ていない。著者の好みが反映しているのかどうかは定かではないが、ウディ・アレンとタランティーノの映画が多く採りあげられていて、このふたり、あまりわたしは好みではないので、その大半を見ていない。また、ホラーとか事件もの(?)もあまり得手ではないので、それらの大半も見ていない。
この本で紹介されていた『ペーパーボーイ 真夏の引力』を見る。
20歳の若者が主人公。彼は将来有望な水泳選手だったが、問題を起こして大学を退学、いまは、父親が発行している地方紙の配達をしている。タイトルはそこからきている。
彼には兄がいて、父の会社よりもずっと大きい新聞社の記者といして働いている。
設定されている時代は1969年。兄は公民権問題や冤罪を訴える人々を擁護するような記事を得意としている。
兄のところにある女性から、自分の婚約者が冤罪で死刑になるかもしれない、助けてほしいという内容の手紙が送られてくる。兄はその要請に応えて取材をすべく、事件の舞台となった自分の生まれ故郷に帰ってくる。
と、こう書くとマジメな社会派ドラマみたいだが、あにはからんや。
物語のメインストリートは、その町で起きた保安官殺害事件の真実やいかに、というものだが、しかし、この映画の面白さはそんな謎解きにあるのではない。
登場人物がひとり残らず曲者揃いで、そんな彼・彼女等の裏の顔(?)が明らかにされるにつれ、物語が右に左に蛇行する、そのことがもたらす不安=サスペンスこそがこの映画の真骨頂なのだ。
終盤になって二度、主人公と彼の兄は、冤罪を訴える男の住まいへと赴くのだが、そこにたどり着くためには沼を通らなければならない。
沼は当然のように暗く淀んでいて、底がないかに見える。
この物語に登場する、病的に淫乱な女性、ゲイ、あるいは、設定されている時代ではあからさまな差別の対象になっていた黒人、そして日本風に言えば被差別部落に住む人々、等々は、一般市民の目にはおそらく、底なし沼のような不気味な存在と映っていたのだろう。このことがもたらす数々の不幸と、そして恐怖 …‥
主人公は後に、この話を小説にし評判をとり、その裏話を知りたいというテレビのインタヴューに応じた、主人公の家で働いていた黒人女性の話に沿って物語は進行するのだが、この黒人女性を演じる俳優さんがとてもいい。ウィキで調べようとしたが情報ナシ。