『姉妹と水兵』は極上だ2014.07.31
千葉伸夫氏の『小津安二郎と20世紀』は、豊富な資料をもとに小津の足跡を丁寧にたどった大変な労作だ。
小津が戦時中、映画撮影のために滞在していたシンガポールのホテルで、米軍から接収した『嵐が丘』『レベッカ』『市民ケーン」等のアメリカ映画を見て、中でもディズニーの『ファンタジア』には圧倒され、これを見ながら「こいつはいけない。相手が悪い。大変な相手とけんかをしたものだ」と語ったのは、有名な逸話である。
遅ればせながらというのもおかしな言い方だが。昨日、『姉妹と水兵』を見て、わたしも同様の感想を持った。
1944年に制作されたミュージカル。将兵慰問映画として作られたものらしいのだが、まあ、これが底抜けに楽しいのだ。戦時中にこんなノー天気でいいのか、というような。
ストーリーはまことに単純。タイトル通り、姉妹がいて水兵がいる。姉妹は舞台で歌って踊る芸人。ふたりの楽屋に毎日、妹宛に蘭の花が届く。しかし、差出人は「誰かより」とあるだけで、誰だか分からない。ふたりは舞台の上から、いったい客席のどこに「誰か」がいるのかと探したりする。
彼女達は舞台がはねると、毎夜のように兵隊たちを我が家に招いて、ねぎらいのパーティを開いている。もうこのあたりで観客にはその「誰か」が誰であるかは分かっているが姉妹は知らない。
パーティの途中、妹が水兵と話している中で、家の窓から見える倉庫を指して、あそこが使えたらいいんだけど …てなことを言う。彼女たちの家に兵隊たちが入りきれないので、もっと広いスペースがほしいのだ。
すると翌日、不動産屋が来て、先の倉庫の鍵を持って来る。いつの間にか、彼女達のものになっているのだ。
倉庫に入ってみると、中はほこりだらけで蜘蛛の巣もはっている。が、よく見ると、あちこちに舞台道具が置かれているのだ。なんて都合がいい。さらに奥に入っていくと、懐かしいおじさんが!
彼はその昔、芸達者でならした男で、姉妹も幼時に会ったことがあるひと。その後、愛していた女房が子供を連れて出奔し、それがショックで舞台から遠ざかり、いまはここに隠れ住んでいるのだ。
それからなんやかやあって、最後は当然のようにハッピーエンド。
なんやかやを知りたいひとは、ご自分でご覧になっていただくとして。
劇場、そして、彼女達のプライベート劇場に出演する歌手、ダンサー、芸人、楽団が多分当時のトップレベルのひとたちで、この映画は彼等の至芸を堪能させる映画なのだ。これが凄い!
2時間あまり、まったく退屈することがない。こんな映画は滅多にあるものではない。
わたしはもともとミュージカル映画が好きではなく、有名な『雨に唄えば』やF・アステアの映画は確かに面白いのだが、時々だれてしまうところがある。しかし、この映画はそれがない。
芸人たちの至芸が凄いのは、これまた実際に見ていただくしかないが、その芸人たちの競演の楽しさを下支え(?)しているストーリーがうまく出来てる。
先にも記したように、ストーリーそのものはよくある手のものだが、ディテールが実にお洒落といいますか。
ファーストシーンは。劇場の楽屋。籠の中に一歳になるかならぬかの赤ん坊がいて、その脇で3、4歳と思われる女の子が本を読んでいる。そこへ舞台衣装をつけた、ふたりの母親と思われる女性が顔を出し、妹の面倒をちゃんと見ててねと言って、出て行く。
次もまた楽屋。今度は妹は2歳くらいで姉は4,5歳。妹はもう歩けるようになっていて、姉の目を盗んで廊下に出て行き、他の楽屋に入って行く。彼女はお気に入りのお人形を持っているのだが、なんと入って行った楽屋にその人形のモデルになっているおじさんがいて、それが先に記した倉庫に隠れ住んでいるおじさん。
おじさんが舞台で至芸を披露し、下手袖に引っ込もうとしたとき、上手袖から妹がよちよち現われ、それを見たおじさん、「近頃は誰でも舞台に出たがって困る」なんて言うと、フェードアウト。
フェードインすると、劇場の表の看板に大人になった姉妹が描かれていて、それから、彼女達の歌い踊るステージが始まる、と。どうでしょう、このストーリーの進め方のスピード、小気味よさ!
登場人物の9割は兵隊や将校で、その事実が戦時であることを物語っているが、それ以外には戦争のセの字も聞かれない徹底振り。やはり日本はとんでもない国とけんかをしてしまったのだと思わずにいられない。
これは、芸人達の至芸に酔わせ、姉妹たちの可愛さにため息をつかせ、そして、終始、微笑みを絶えさせない、見る者を幸福感でいっぱいにしてくれる、本物のエンターティンメントだ。