竹内銃一郎のキノG語録

これも世のためひとのため。 某古本屋氏との会話2017.01.27

前回、ブックオフに売った本250冊が1万2千円にしかならなかったとぼやき、だから今度は別の古本屋に売ろうと書いたが、その古本屋が昨日我が家に来訪。本棚に並ぶ約300冊を見て開口一番、「いやあ、カフカ系の10冊は買い上げの対象になりますが、他は …。売れる本が全然ないですね。全部持ってってくと、ほとんど廃棄処分に回すので、買値と処分費用が相殺されて、お支払いは500円くらいにしかなりませんけど …」「ゴ、ゴヒャクエン! 大江健三郎が10冊くらいありますけど」「出せて100円ですか」「一冊10円! 村上春樹も駄目ですか」「最近新刊が出たって騒いでますけど、半年後に古本屋に並んだらせいぜい100円でしょ」「はあ。じゃ、いまはどういう系統の本が売れるんですか」「まあ、サブカル系でしょうね、映画関連とか」「だったらこんなのありますけど」と、売る気のなかった清順さんとかトリュフォーの本とか5、6冊見せると、「ああ、こういうのは売れるんです」というのでそれらを手渡し、「2千円でいいですか」「ニセンエン …?」「全部持ってきますんで」「じゃあ、それで …」

映画関連が売れるというから、演劇はどうかと聞くと、「いやあ、厳しいですね」「やっぱり」「でも、ひとりだけ確実に売れる作家がいるんですよ、誰だったかな」「三谷ですか」「違います」「あ、別役さんかな」「ああ、それそれ」。いい機会だからと思ってわたしの本のことを聞いてみる。前から気になってることがあったのだ。別に自慢するわけではないが、Amazonで見ると、わたしの戯曲集のほとんどは、定価よりも一割くらい高い値段がついているが、驚くべき例外が一冊だけあって、それは「戸惑いの午后の惨事」。3~4千円もして(定価の3倍!)、なおかつ、一軒の古本屋は4万円(!)の値段をつけているのだ。「どういうことなの、これは?」「いるんですよ、滅茶苦茶な値段をつけるヤツが。もちろん売れるわけないけど、でも時々なにを勘違いするのか、そういうのを好んで買う客がいるんで …」

もうひとつ質問。思想・哲学系は小説のようにただ同然ではないというので、「でも、Amazonで見たら、市川浩の『精神としての身体』なんて1円ですよ」「でも、文庫の新装版は高いんですよ」「昔は初版本は高かったんですけどね」「関係ないですね。重要なのは綺麗か汚いかなんで。お客さんの本ももう少し綺麗だともう少し値段をつけられるんですけど」「 …はあ …」

手際よくざくざくと段ボールに本を詰めると、彼(推定46歳)は風のように立ち去って行った。なんのかんのもっともらしいことを言っていたが、おそらく、彼は車の中で、今日は結構な商売になったとほくそ笑んでいるに違いないと思ったが、口惜しさは微塵もなかった。いまの時代、Amazonとブックオフの挟撃を受けて、フツーの古本屋はみな青息吐息なのだ。これも人助けだと、こちらも満足の笑みを浮かべたのである。

本がなくなったスティール製の本棚が3つ。部屋はがらんとして、わたしはまるで知らない場所にひとり取り残されたような気分に襲われて …。

 

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