世の中そんなに甘くはないぞよ。 映画「最愛の子」を見る。2017.01.31
日曜日。二カ月ぶりに出走してきたコロちゃんことコロナシオン。パドックで見る彼女は、快勝した新馬戦の時とはまるで別馬のよう。あの時のお転婆娘のような溌溂さはまるでなく、前走・前々走から8キロ減のからだも、スリムになったというより筋肉が落ちてしまったような。それでも走ってしまうのではと思ったが、そうは問屋が卸さない。声援むなしく、なんと10着。嗚呼、いったい彼女に何があったのか。前走の惨敗ショックが尾をひいてるのだろうか? 牝馬は一度調子を崩すと回復に手間取るというが、人間でいえばまだ高一、傷つきやすいお年頃なのだ。悩みがあるなら相談にのってやりたいが、喋れないからなあ、お馬さんだから。なす術がないとは。辛いなあ。
引越し準備の合間をぬって、録画しておいた「最愛の子」を見る。推定30半ばの離婚した元夫婦の間には可愛い3歳の男の子がいて、元妻は別の男と結婚し、子どもは亭主の方が引き取っている。妻は時々、子どもと会っていて、その日、妻は子どもを元亭主のもとに送り届け、その際、やっぱり子どもはわたしが面倒をと言うが、むろん、亭主は強く拒否。妻が帰った後、子どもは同じ年頃の子ども達と遊びに出かけるが、暗くなったのに家に帰ってこない。亭主は心配になって辺りを探し、もしや妻がと思って、彼女の家に出かけてもみるが。警察に行って捜索願を出すが、丸一日後でないと警察は動けないと言われ …
中国では行方不明になった子どもが年間20万人もいるらしい。その大半は<人さらい>によるもの。しかし、身代金目当ての誘拐ではなく、労働力として、もしくは、人身売買目的だというから、そこには現在の中国が抱える経済格差の拡大や、一人っ子政策の弊害等々の<切実な問題>が背景にあるわけだが、それはそれとして。
物語は半ばを過ぎたあたりから思わぬ展開を示す。別れた夫婦は子どもがいなくなったことをきっかけに再び急接近し、最後は子どもが見つかり、家族三人、元のさやに納まって、万事めでたしめでたしとなるかと思いきや。ふたりは、彼らと同じ境遇の親たちが作る会に入会し、行方不明から三年後、思わぬ形で子どもは見つかるのだが、子どもは彼らを親とは認めない。この三年の間、彼を育ててくれた女性の方を本当の親だと思っているのだ。物語の焦点は、この「第二の母」というべき女性の方に移行する。彼女は誘拐幇助の嫌疑を晴らすべく、そして子どもをわがもとに取り戻すべく、弁護士を雇うのだが、認知症の母親を抱えたこの若い弁護士の方へも、物語の重心がかかっていく。そしてさらに …
ネタバレを遠ざけているために、なんだかまどろっこしい書き方になっているが、要するに、物語を一点に絞らず、まるで電車を乗り継ぎ乗り継ぎしながら目的地(ラスト)に進んでいく物語の形が珍しくて面白いと、そう言いたいのである。この映画は実際に起きた事件をモデルにしているらしく、最後に演じた役者とモデルになった人たちが交流するシーンが流れる。
ネットで見たら、監督はピーター・チャン。これまでも繰り返し書いてきたが、今回もまた「奇しくも」的なことがあり。オニのようにある映画・演劇のパンフレットを整理していたら、「君さえいれば/金枝玉葉」のパンフが出てきて、ああ、そう言えばこの映画の批評を雑誌に掲載したことがあったなあと懐かしく思い出したのだが、このとてもチャーミングな恋愛映画の監督がピーター・チャンだったのだ。20年前の話である。ひぇー。