ミアを見よ!2014.08.29
アギーレにパクられた?!
ジャイアンツが勝った翌日には必ず買うことにしている報知新聞を見ると、サッカーの新しい日本代表選手が選ばれた記事があり、アギーレの選出理由も書かれていて、それは以下のようなもの。
「試合時間90分を22人の選手で割ると、ひとりの選手がボールを持っている時間は約2分。わたしは残りの88分にどういう質の仕事をするか、それを見たい」
2分という時間の割り出し方がよく分からないのだが、それはともかく。これは、これまでもこのブログで何度か書いてきた、わたしの「俳優の仕事」に関する基本的な考えとまったく同じだ。
曰く「大半の俳優は、舞台上で沈黙を余儀なくされている。主役の俳優だって、上演時間の半分以下しか台詞を語っている時間はないはずだ。にもかかわらず、俳優は台詞の言い方ばかりに神経を使っている。いわゆるワークショップと称されている催し物でも、教える・教えられることの殆どは台詞の言い方なのではないか? これはおかしくないか?
アタマを使うべきは、舞台にいながら自分の台詞がない時間を「表現」とするにはどうしたらいいのか、なのではないか。
「アルバート氏の人生」を見る。小説であれ映画であれ、タイトルに人生などという言葉が入ってるものにロクなものはないという偏見から、ずいぶん前に録画してあったのに今まで見ないでいたのだが、女性であることをひた隠し、男性として生きた、生きざるをえなかったひとのお話というのが気になり、ようやく見た。二週間ほど前であったか、TVで女性同士で結婚したふたりのインタヴューを見て、いろいろ考えさせられたことも見るきっかけになった。
結論から書くと、これはまあとてもよく出来た映画で、シナリオも演出も、美術、照明等のビジュアル、音楽、登場する俳優たち、どれをとってもほとんど隙がないのだ。むろん、キワものではなくマジメな、真面目すぎるといっていい映画である。
グレン・クローズ演じるアルバート氏は、14歳のとき5人の男たちにレイプされ、それをきっかけに男として生きることにする。ボーイ・ウエイターとして、各種の飲食店を転々、いまは高級ホテルの有能なウエイターにまで上り詰めている。この間、コツコツとお金を貯めていて、彼(彼女?)の夢は、その貯金を元手に自分の店を持つこと。
そして格好な物件を見つける。あとは、余生をともに過ごす妻だ。アルバート氏は、ホテルの同僚である若いウエイトレスに白羽の矢を立てるが、彼女にはやはり同じホテルで働く若いボイラーマンの彼氏がいる。彼女はその彼に、アルバート氏に付き合ってほしいと言われたことを告げると、男は適当に相手をしてやって金を搾り取ってやれと彼女に助言する。
そして …
この若いウエイトレスを演じるのがミア・ワシコウスカ。
映画の初めから、この女優さんが気になっていた。さほどの台詞がなく、年配者が多く登場するこの映画の中ではほんの彩り程度の役ではないかと思っていたのだが、それにしては、台詞のない時の、鋭いけれど寂しさ(絶望?)を感じさせる眼差しが …。たまらない。
どこかで見たことがあるような気もするが、可愛いけれどとりたてて美人でもないこんな顔はよくあるから …。
見終わったあとネットで調べたら、なんとなんと、あの「永遠の僕たち」に出ていた、余命いくばくもない可哀そうなアノ役を演じた女優さんだった。そうだ、「永遠の …」を見た時も、この子は明らかにわたしのタイプだが …と思って調べてみたら、「アリス・イン・ワンダーランド」でアリスをやっていた女の子だったのだ。
フツーに考えれば、印象に残らない俳優はダメな俳優さんで、だから皆いかに目立つか、いかに前に出るかを競い合い、そして無様な結果を招くのだが、彼女は物語の中心にいながら、しかし、中心からは少し外れたところに立って周囲に 鋭い眼差しを投げかけている。まるでサッカーのボランチのように。そして、前に出るべきところでは前に出るのだ。もちろん、監督の指示もあろうが、多分彼女は賢明な女優さんなのだろう。
いい、とてもいい! 若いのに攻守に隙のない、使い勝手もいいこの女優さん。彼女がサッカー選手なら、アギーレも間違いなく代表選手の中に加えるだろう。
この渋すぎる映画の監督は、あのガルシア・マルケスの息子だと知って驚く。長らくこの企画を温め続け、ようやく実現させたグレン・クローズは、脚本にも名を連ね、入魂の演技を見せている。
舞台は19世紀のダブリン。これまた、ずいぶん昔に買ったまま読まずにいたジョイスの「ダブリン市民」を、本棚から探し出して早速読まねば。